アンケート調査から見る「民衆の歌」の価値とコミュニケーションの課題とは マリーシア感情的サポ論

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「民衆の歌を歌ってはいるけど、なかなか声量があがらないのは歌詞に感情移入しづらいからじゃないかと考え応援用に歌詞を変えたいと考えてます。」コールリーダーのひろあきさんのツイートから、ネット上に意見(その多くは反対意見)が渦巻いた。これを「民衆の歌問題」とし、意見の相違を埋めるため、アンケート調査などのプロセスを踏んだ。その結果をマリーシア企画運営の石井より報告します。

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マリーシアのコアメンバーで予備アンケートの設問設計をするためのチャットミーティングを実施した後、以下のプロセスを踏んだ。

<5月19日より5月28日まで>
民衆の歌の歌詞変更に関する予備アンケート調査を実施。
予備アンケート調査結果をひろあきさんと共有。
この時点で「時間を掛けて皆が覚えれば大きな声で歌えるだろうというのが現時点では正解と感じる」という見解を、ひろあきさんから石井へいただく。様々な意見を知る為に見解は本アンケート調査終了後まで公表しない。

<5月30日 15:00〜16:10>
賛成、反対、双方の課題を明確化するためのブレスト形式のミーティングを実施。
賛成の方も反対の方も、全員が下記の3つのテーマで、思いつくことを挙げた。

1 歌詞変更以外で闘いのムードを勢いづかせる方法とは。
2 歌詞変更により得られるものとは。
3 歌詞変更により失うものとは。

<5月31日より6月1日まで>
本アンケート調査を実施。
上記1〜3で抽出した様々な意見を設問に盛り込んだ。その回答を得ると同時に、自分とは異なる考えの様々な意見が存在することを回答者に理解していただいた。

<6月2日>
ひろあきさんから見解を公表。
「現時点で私の中にも歌詞変更の意思はありません。細かい歌詞とかアレンジとか抜きにして民衆の歌を歌ってる事自体に価値があるって話を石井さんから聞いてそれ以上の意味を歌詞変更に対して自分が感じなくなったからです。」
予備アンケート調査と本アンケート調査で、同設問2つの回答傾向が、どのように変化したかを検証し、本報告に至る。

本アンケート調査の結果の考察

主たる問題は歌詞の認知不足と音楽の音量。
「声量を上げることで、試合前に応援の勢い付けることができるのではないか」と多くのサポーターは考えているが、声量が上がらない原因は、大型ビジョンに歌詞を表示できないことは当たり前のこととし、加えて「場内音響により音楽の音量が大きすぎるため歌いにくいのではないか」と考えている。「『民衆の歌』以外についての改善を図ることで『民衆の歌』の声量を上げることができるのではないか」という仮説がブレスト形式のミーティングで打ち出されたが、多くのサポーターからは同意を得られてはいない。

「民衆の歌」のスピーカーの音量を、一部絞り、歌声を聞こえるようにすると、応援の勢いが増すと思いますか。
「民衆の歌」のスピーカーの音量を、一部絞り、歌声を聞こえるようにすると、応援の勢いが増すと思いますか。

アウェイ席の2階に「民衆の歌」の歌詞を貼ると歌いやすくなり、応援の勢いが増すと思いますか。
アウェイ席の2階に「民衆の歌」の歌詞を貼ると歌いやすくなり、応援の勢いが増すと思います

歌詞を変更することでクラブが「民衆の歌」をオフィシャルで使用しにくくなり歌詞表示をLEDで行わなくなるなどで、応援の勢いが落ちると思いますか。
歌詞を変更することでクラブが「民衆の歌」をオフィシャルで使用しにくくなり歌詞表示をLEDで行わなくなるなどで、応援の勢いが落ちると思いますか

「民衆の歌」と「プライドにかけて」の2曲が一体となるように歌やコールなどを工夫すると、応援の勢いが増すと思いますか。
「民衆の歌」と「プライドにかけて」の2曲が一体となるように歌やコールなどを工夫すると、応援の勢いが増すと思いますか

トリパラを試合開始前に何か活用すると、応援の勢いが増すと思いますか。
トリパラを試合開始前に何か活用すると、応援の勢いが増すと思います

歌詞変更に反対の最も大きな理由は「クラブの価値の低下」
サポーターには、あまり知られていないことだが、名曲「民衆の歌」を使用していること、帝国劇場とコラボしていることは、他のJリーグクラブには出来ない「横浜F・マリノスの高い価値の証明」として、協賛獲得営業にまで活用されている。それほどまでに、クラブの高い価値作りに「民衆の歌」は生かされている。また、サポーターの中にも「他には、こんな名曲をオフィシャルで使用し、かつ、サポーターが歌っているクラブは存在しないだろう」という心理的な優越感を生み出している。そこには、既にブランドが確立されつつあることが本アンケート調査結果からもうかがえる。

歌詞を変更することで名曲「民衆の歌」ではなく「民衆の歌の替え歌」となることで、これだけの名曲をオフィシャルで使用できるという他クラブに対する優越感がなくなると思いますか。
優越感がなくなると思います

歌詞を変更することで「民衆の歌」のミュージカル俳優の来場やキャンペーンを行えなくなり集客やスポンサー営業などに影響が出て、クラブの価値が下がると思いますか。
クラブの価値が下がると思います

過去のサポーターの歴史から見た、別の視点の検証。
1992年の謎のユニット「ママス& パパス」(あまりに不評でCDされず。ママシンガーとパパシンガーのユニットと噂されたが、誰なのかを公表することもなかったトリコロールの元祖秘密兵器)、「YOKOHAMA FIGHT ON!」(B.R.B)、「We are F・Marinos」(ゆず)に至るまで1990年代前半からこれまでに、クラブが提供してきた音楽に合わせてサポーターが歌うということは一度も定着してこなかった。横浜F・マリノスのゴール裏はマリーシアがコアサポーターだった1992年から1994年にかけてを皮切りに、クラブフロントとは微妙な距離感があり、音楽やセレモニーでの一体感が作られてこないケースが多かった。そこには「サポーターの中に『クラブからの押し付け感』が少なからず存在し、それが、いまひとつ声量を大きくしない原因の一つではないか」という仮説がブレスト形式のミーティングで打ち出された。しかし、以下のように、「クラブからの押し付け感」は、大きな要因ではなさそうであることが判明した。

「民衆の歌」を歌う時間に、クラブの押し付け感を感じますか。
「民衆の歌」を歌う時間に、クラブの押し付け感を感じますか

歌詞を変更することで「民衆の歌」のクラブからの押し付け感を解消でき、応援の勢いが増すと思いますか。
歌詞を変更することで「民衆の歌」のクラブからの押し付け感を解消でき、応援の勢いが増すと思いますか。

歌詞を変更することで「民衆の歌」の著作権の縛りから抜け出せ自由に活用できるようになり、応援の勢いが増すと思いますか。
歌詞を変更することで「民衆の歌」の著作権の縛りから抜け出せ自由に活用できるようになり、応援の勢いが増すと思いますか

歌詞を変更することで「民衆の歌」に「俺たちの歌」の思い入れが増し、応援の勢いが増すと思いますか。
歌詞を変更することで「民衆の歌」の著作権の縛りから抜け出せ自由に活用できるようになり、応援の勢いが増すと思いますか

歌い始めて2年間。「民衆の歌」への思い入れは深かった。
では、「民衆の歌」への思い入れは、どの程度までの深いものなのかを検証してみた。「クラブが『民衆の歌』を使用しなくなった場合でも、継続して今の歌詞で『民衆の歌』を歌いたい」サポーターが多数。また、もしも仮に、クラブから別の新しい歌詞が提示されても「継続して今の歌詞で『民衆の歌』を歌いたい」サポーターが多数であることがわかった。

もし仮に、帝国劇場とのコラボが終了となり、クラブが「民衆の歌」を使用しなくなった場合でも、継続して今の歌詞で「民衆の歌」を歌いたいですか。
もし仮に、帝国劇場とのコラボが終了となり、クラブが「民衆の歌」を使用しなくなった場合でも、継続して今の歌詞で「民衆の歌」を歌いたいですか

もし仮に、将来、帝国劇場以外のミュージカルの「レ・ミゼラブル」とクラブがコラボすることになり、LEDに表示される「民衆の歌」の歌詞が帝国劇場の「民衆の歌」の歌の歌詞と異なる新しい歌詞になった場合に、どちらの歌詞を歌いますか。
どちらの歌詞を歌いますか

圧倒的多数で歌詞変更に反対かに見えるが、実際は「ほぼ全てのサポーターが歌詞変更に反対した」というわけではない。
では、歌詞変更に賛成か反対かという結論に関してはどうだろう。ツイッターでの意見は、歌詞変更に反対の意見が圧倒的に多数であったが、実際には「歌詞変更に賛成(条件付き含む)」のサポーターが無視できない割合で存在していることがわかる。

試合前に歌われる「民衆の歌」の声量があがらないのは「歌詞に感情移入しづらいから」という考えに賛成ですか。
試合前に歌われる「民衆の歌」の声量があがらないのは「歌詞に感情移入しづらいから」という考えに賛成ですか。

「民衆の歌」の歌詞を変更することに賛成ですか。
「民衆の歌」の歌詞を変更することに賛成ですか

また、上記でご覧いただいたように、バラエティに富んだ設問に回答していただくことで、自分とは異なる様々な意見がサポーターの中に存在することを理解していただいた上で賛成、反対の回答をしていただいたわけだが、これを、以前に、単純に賛成、反対の回答をしていただいた予備調査の回答と比較してみると、予備調査の段階で68.9%だった歌詞変更に反対のサポーターが本調査では76.3%と、わずかではあるが歌詞変更に反対のサポーターが7.4%増加していることがわかる。これは、今、サポーターの細分化が進み、自分と同じ考えのサポーターだけでグループを組むことで、その環境から考え方が固定される可能性を示唆している。

<予備アンケート調査>
試合前に歌われる「民衆の歌」の声量があがらないのは「歌詞に感情移入しづらいから」という考えに賛成ですか。
試合前に歌われる「民衆の歌」の声量があがらないのは「歌詞に感情移入しづらいから」という考えに賛成ですか。予備

<予備アンケート調査>
「民衆の歌」の歌詞を変更することに賛成ですか。
予備調査変更賛否

とはいえ、7.4%の変動は大きな数値ではないため、さらに、検証してみた。
予備調査を実施する前に何名かのサポーターにヒヤリングをした結果「歌詞変更に賛成の人を見たことがない」というサポーターが多数だった。一方で「自分の周りには歌詞変更に賛成の人が結構多い」というサポーターも存在していた。そこでクロス集計を行ってみた。

<予備アンケート調査クロス集計結果>
予備調査の段階では「民衆の歌の位置付け」を質問した。その質問に対して78.3%のサポーターは「民衆の歌」はアンセム(特定集団を祝う歌、特定集団を讃える歌、テーマ曲=クラブ主導であるかサポーター主導であるかは定義とは無関係)であると回答したが7.9%のサポーターはチャント(応援歌)であると回答した。そこで「民衆の歌はチャント(応援歌)である」と回答した7.9%のサポーターだけに絞って集計してみると興味深い結果が出た。「民衆の歌はチャント(応援歌)である」と回答した7.9%のサポーターの中で歌詞変更に反対するサポーターは54.5%。つまり、もし、「民衆の歌はチャント(応援歌)である」と考えている仲間の集まった観戦場所では、民衆の歌の歌詞変更の賛否は半々。それゆえに歌詞変更に、それほど強い抵抗感を感じなかった可能性が高いのだ。

「民衆の歌はチャント(応援歌)である」と回答したサポーターのみが回答
「民衆の歌」の歌詞を変更することに賛成ですか。
クロス賛成

ここまでのアンケート調査結果から、多くのサポーターは「『民衆の歌』の歌詞変更を望んではいない」ということが判明した。しかし、細分化したサポーターは、情報交流の幅が狭まっており、自分とは異なる意見を持つサポーターとの接点が減少している可能性がある。仲間内では『民衆の歌』の歌詞変更は突飛なアイデアではなかったのかもしれない。しかし相互の意見や環境の理解をしないと会話がかみ合わず、いたずらに意見の対立を煽ってしまう危険性があるのではないだろうか。予備アンケート調査では819名のマリノスサポーターからの回答を得ている。回答者数の多さは「民衆の歌問題」への関心の高さを示している。しかし、一方で、ブレスト形式のミーティングには予備アンケート調査の回答者の0.5%程しか参加者が集まらなかった(予備アンケートの設問設計に携わったマリーシアのコアメンバーの人数を除く)。そして、このアンケート調査とブレスト形式のミーティング以外に事態の収拾を図ろうとするアクションが乏しかったことも、また重く受け止めるべき事実だろう。

今回の「民衆の歌問題」から得られた教訓としては、下記の4つを挙げさせていただきたい。
1 サポーターは細分化しており、自分と近い考えのサポーターが集まる傾向にある。
2 自分が当然だと考えていたことが、誰に聞いても当然だとは限らない。
3 異なる意見を持つサポーター同士の情報交流を円滑にしないと余計な対立が生まれやすい。
4 ツイッター上では意見が先鋭化しやすく意見を表明できても事態解決には向かない。

今回は、多数のサポーターのご参加をいただいたことにより、このような報告をさせていただくに至りました。ありがとうございました。今後の、よりよいサポート環境推進のために、参考にしていただければ幸いに存じます。

以下、予備調査時の自由回答

「民衆の歌」の声量をあげるために歌詞を変更することに対する回答理由。

<反対の理由>

声量が上がらないのは感情移入しづらいからではないと思うから。
民衆の歌に限らず、元々のチャントですらそこまで声が大きくない。
バックスタンドで見てると、数で圧倒的に少ないアウェイ側の方が大きく感じる時すらある。
ゴール裏に行く事もあるが、大きな声で応援してる人は多くないように感じる。
民衆の歌の歌詞を眺めても、「戦う者の歌が聴こえるか? 鼓動があのドラムと 響き合えば 新たに熱い 生命がはじまる 明日が来たとき そうさ明日が!」とあるが、どの辺りが感情移入できないのかが分からない。
今のままで十分通じるのではないだろうか。
感情移入できれば声量があがると思う以前に、もっと大きな声で歌えば良いのではないか、感情移入すれば必ず声量は上がるのか?
藤本選手のチャントは声が出ていないが、それも感情移入できてないからと思うのか?という理由です。
素晴らしい歌詞を替歌にしたらもっと歌う人が少なくなると思うから。
Bメロが追加されてから歌い難くなった。
キーが低すぎて歌いに難いのでBメロは歌わない事が多々ある。
そもそも、一緒に歌おうと言うスタンスで流しているのあれば歌入りで流しては?もしくはオーロラビジョンに歌詞を表示しては?
映像演出が素晴らしいので、歌う事よりもそちらに見入ってしまう。
下の電光掲示板では気付きにくいし見にくい。
一緒に歌って欲しいなら、歌詞を替える事より歌って欲しい事をアピールする事に力を入れるべきだと考えます。
基本反対です。歌詞を変える≠音量UPと思います。
ただし、若干ずれている歌詞を変更するのは有かなとも思います。
例)♪自由への道~ → 勝利への道~(気になるとしたらここだけ)
もう一つ。
2013年アウェイ磐田戦の声と旗だけの民衆の歌。今思い出しても鳥肌が立ちます。もちろん優勝争いのさなかのアウェイなので、みなの思い入れも違うのかもしれませんが、やればできる証明だと思います。まずゴール裏から盛り上げて声だし呼びかけましょう。大型ビジョンに歌詞を入れるのもいいと思います。
お疲れさまです。
歌詞が原因で声量か落ちたとは考えづらいから。
ここからは、今回のアンケートには関係ないことなのですが
自分の場合は、以前、ますたろう氏が「フィフィのような差別主義者が来るようなゴール裏にはこの位の歌詞のチャントを仕掛けるのが精いっぱい」と言うような趣旨のツイートを見かけてしまってから、え?私たち こんな風にコントロールされているの?と疑問に思い 歌えなくなってしまいました。
ますたろう氏 フィフィ氏 どちらにも肩入れしてはおりませんが、残念な気持ちが拭いきれず、本当に今も苦しいです。
失礼しました。
声量があがらない(あがっていないと感じる)要因と感情移入とは関係ないと思います。スタジアムの音楽の音量に問題があると感じます。感情移入については長年にわたり歌い継いていけば、知らないうちに感情移入するのではないでしょうか。ゴル裏の民なので離れた場所でどれほど声を出しているか知りませんがyoutubeをみるとゴル裏以外は
たいして歌ってないようです。旗を振る時間みたいになっていますね。勿論それでもいいのですが、fc東京のユルネバみたいに途中で音楽を切る方法があるかも知れません。切るのは個人的には反対ですがw出来ることがチームまたは日産スタジアムへの要望みたいになってしまいますが参考までに宜しくおねがいいたします。
覚え直すのが、たいへんなのでそのままでいいと思います
声量が小さいのはそういう理由ではないと思うから。
ゴール裏一階だけでは無理。ホーム側全体の意識をかえるべき。
モニターに歌詞をのせる。
音響が大きすぎて声は全く聴こえない。(ピッチレベルで観戦時に感じた)
偶然にもサッカーに合う歌詞になっていると思うので、変える必要はない。
民衆の歌は、すでに完成された状態で、マリサポに浸透したと思うので。今さら変える必要を感じない。
まだロングバージョンになって浸透していないだけだと思います。
この今のスタイルの「民衆の歌」は長い年月をかけてジワジワ浸透していき、それがやがてマリノスのアンセムのようになっていくと思います。
私がいつも観戦してるエリアでは、スマホや歌詞カードを見つつ歌っている人をたくさん見かけます。
そして、「歌詞が出てないからわからない」という人もいます。(確かにゴール裏からだと下の電工掲示板は見辛いし、歌詞が出ている事を知らない人も。歌詞についてはクラブへ提案したいと思います)
コールリーダーの提案は、「一年間ある選手のチャントをやってみたが、声量がいまいちなので歌詞変更します。歌詞案募集します」と勝手に誰かが言いだした状況と同じ。
1度作った選手のチャントを変えますか?
知らない誰かに突然、「変更します。歌詞募集します」とやられたらどうですか?
浸透していないだけ、気長に待つべき。
作詞者の著作権の問題。チャントとは違うので替え歌は問題あり。
いまの歌詞がかっこいいし、内容的にもチーム、サポーターを鼓舞するものとして適切。
素人がダサい歌詞をつけたら、もっと悲惨なことになる。
民衆の歌は民衆の歌、これはマリノスの歌ではないし現在のままでいいと思う
元旦決勝の時のように全てラララとかであればいいけれど、勝利への道とか言葉として変更するなら歌わなくていいと思っています
民衆の歌のは知名度も高く、歌詞含めて評価されている。
ある意味完成された楽曲を素人がいじるとどうなるか?
初見のライト層は名曲の「替え歌」に苦笑いだろう。
声量を上げたいなら「民衆の歌を歌いましょう!」とアナウンスすることが先決。
試合中のチャントならまだしも、試合前に歌う歌は安易な替え歌にしないでほしい。声量云々は歌詞がどうこうではなく、継続することが第一だと思っている。
今の歌詞が好きだから
期間は短くても、今まで歌ってきたという歴史があるから
歌詞はとても良くてサポーター1人1人が歌詞を覚えればいいと思うからです。
歴史ある歌であり、既にサポーターの愛着もあり。歌詞を変更する理由は無い。
声量をあげるには、「民衆の歌を皆で大きな声で歌おう」という意識付けが必要。
サポーターの中にも大きな声で歌おうという意識が低いように思う。
歌詞問題があった故に三ツ沢での神戸戦は人数こそ少なかったが個々の声量が多かったと思う。
*歌詞を改変することにより原曲カラオケの使用や、キャスト歌唱、コラボチケットなど公式コラボの可能性を潰してしまう。
*ミュージカルの歌詞はレミゼラブル、本国のカンパニーと日本のカンパニーとで元の意味を尊重し一語一語無駄なく訳し創り上げたレミゼラブルカンパニーの作品。レミゼカンパニーの許可なく一部改変するのはより失礼にあたる。
*歌詞以前に女性には歌い難いキー。歌詞を変えたところで声量は変わらない。
まったく問題ない
声量については、個々のサポーターの声量×集客数の問題。
どんな歌詞であれ、一人ひとりが声を出すことが大切。また、独自の歌詞よりもミュージカルの歌詞の方が馴染みがある(特に新規の客)。
しかし、集客数が増えない限り、それにも限界はある。
伴奏の音量を下げるのが一番反対。今のままだと静かで、残念な雰囲気になってしまう。
軽々しく歌詞を変えるとかやって欲しくない曲だから。
チームやレミゼの関係者、すべての方の努力のもとに、試合前に民衆の歌を歌えることが実現したのだと思います。歌い始めてたった3年で、何かを判断するのは早すぎると思います。声量があがらないのを感情移入ができないせいと決めつけ、歌詞を変えればなんとかなる、という考え方も浅薄すぎるように思います。歌詞を知らない人もいるかもしれませんが、また歌詞を変えれば更に声量が落ちると思います。
「民衆の歌」の歌詞の背景は正直言ってあまりよく理解していないのですが、個人的には好きであの歌詞は声を出して歌うたびにうるっときて涙が出そうになります。
スタジアムに行って私たちサポーターができることは、声を出して後押しすることだけなので、感情移入云々ではなくとにかく理屈抜きに大声を出して、絶対に勝ってほしい!という気持ちを届けたいと思って歌っています。
それと、劇団の方たちがスタジアムで大迫力の歌声を披露してくださるイベントを毎回楽しみにしています。
もし、サポーターの判断で歌詞を変えて別物にしてしまったら、このイベントの存続や劇団とのつながりがどうなってしまうのか危惧します。
変えずに続けることも大事だと思う。
変えないことがクラブの歴史になる。
そういった文化を大事にする気を忘れてはいけない。
民衆の歌は、フランスの戦いに行く前の歌だが、それをすべて否定するのはいかがか?とおもう。
歌詞に声量が上がらないのはスタジアムの音が大きすぎることだと思う。。
せっかく覚えたしいい歌詞だから
オフィシャル応援歌であり、劇団四季ともコラボしているから。
歌詞が合わないということには同意できますが、歌詞を変えてまで歌う必要はないのではないでしょうか。歌詞を変えるなら民衆の歌自体いらない。
声量が上がらないのは歌詞が問題ではないと思うから
たまに2Fバックスタンドに行くけどそもそも歌っているのに気づいてる人が少なそうだから歌詞の問題じゃないと思う。
もっとバックスタンドやらメインスタンドの人が歌える環境を作るのが先。
周りが出してないから出せないって人が結構いそうだし…
あと音量が大きくて聞こえてないのもあるかもしれない。
そこらへんの解決を優先するべき。
わざわざ歌詞をかえる必要がないから
試合前に流れる
We are F・MARINOSと
民衆の歌は
公式歌
民衆の歌はずっと前から歌われてきていて儀式みたいなものだから。簡単にCLの考えで勝手に変えられるのは個人的に納得出来るはずがない
歌詞を変えることで継続性が失われてしまっては歌い続ける意味もないのではないか?
完成されているものに手を加えることに無意味さを覚える。
新しく来た人でも知っている数少ない曲を減らす意味がわからない。
声量の問題よりも、まずは歌うこと。原曲の歌詞だから歌わないのではなく、バクスタなどは歌っていることすら認識されていないのでは??一緒に歌うことを推奨するのであれば他でも耳にする機会のある原曲の方が入りやすいのでは?私自身、レミゼラブルのキャストに来て歌ってもらった歌詞を変えるのは抵抗があります。
私個人アンセムとして捉えているのを前提にして
あの曲にあの歌詞だから民衆の歌
歌詞を変えるくらいなら曲を変えた方がいい
歌詞を変えるという発想事態が理解できません。本当にマリーシアさんの民衆の歌に関するツイート全てに共感です。民衆の歌の価値は、あの歌詞です。あの歌詞ではない民衆の歌などありえません。愚の骨頂に同意です。あれだけの歌を使わせもらえるというクラブの価値、まさにです。そして、声量の問題は歌詞の問題とは思えません。感情移入するポイントなんて人それぞれだと思うので、変えたからと言って感情移入できるかと言ったら私は違いますし、仮に感情移入できたら声量があがるのでしょうか。声量をあげたいなら、レッズのような工夫をするほうが近道だと思います。感情的ですみません…とにかくツイートされていた通りです。絶対反対です。
声量をあげるためだけに歌詞を変更するのは安易すぎるし、それだけでは声量は上がらないと思う。まず、声量をあげる必要がないのでは?自分は民衆の歌を選手を応援するために歌うのではなく自分自信の気持ちを高める様に歌っているのであまり声量は気にならない。
歌詞なんて関係ない。
歌詞を変えて声量が上がるとは思えない。むしろ反対派は全く歌わなくなるでしょう。
音量が大きすぎて大きい声を出しても聞こえない事がわかってから徐々に声を出さなくなったのでは?
一昨年?アウェイジュビロ戦YAMAHAスタジアムでは音楽無しで結構な声が出ていましたよね、ジュビロサポが、見惚れていましたよ。連勝中だとか、試合の盛り上がりでも声の出方は変わるのかもしれませんので、歌詞に問題があるとは思えません。サポの気持ち次第かなと
場内に流れる音楽の音量が大きすぎます。
そのため、ゴール裏にいる分にはサポーターの歌声が聞こえますが、
バックスタンド側では聞こえない状態になっているとおもいます。
歌詞を変更することで、何か違う問題が起こらないかという心配をしています(森進一のような)また、事前に了承を得るためにクラブがわざわざ動かなければならないのか??と思うと反対です。
歌詞の問題ではなく、伴奏の音量が大きすぎるため歌っている人の声が聞こえない事で、新たな参加者を獲得する事が出来ない。また歌っている本人もどれぐらいの声量なのか実感できない。
原曲の歌詞(訳詞)も含め、マリノスの「戦歌」としてふさわしいから選ばれたのではないでしょうか。替え歌にするならなんでもいっしょになってしまって価値が下がるように感じます。
せっかくの、名曲を変えるひつようはないとおもいます。
逆に、変えなきゃいけない理由をおしえてください。
歌詞を変更する意味がわからない。
民衆の歌は私たちの歌ではあるけど、私たちだけの歌ではない。
そういうところが私は好き。
歌詞変えたら民衆の歌じゃなくなっちゃう!
私は初めてローマのオリンピコに行った時、試合前にサポーターが歌うROMA ROMA ROMAの歌声に感動し、次来る時は絶対歌いたい!そう思い、CDを買って家で聴き込みました。そして、2度目、一緒に歌った時の気分はもう最高。高揚感がたまりませんでした。
民衆の歌にもそのような効果があると思っています。バックスタンドで歌っていると、初めて来たらしき人達が画面や歌っている人をじっと見ています。ゴール裏のトリコロールが綺麗だとか、老若男女が歌っている姿に何かを感じてくれているようです。
ぜひぜひ歌い続けて、マリノスの歌として定着させて行きたいです。
毎試合来れる人はいいが、シーズン通して何試合かしか来れない方が徐々に覚えてきている中で、またそこで変えてしまうとゼロからになってしまい、より声量が上がらないと思う。感情移入しづらいとから歌詞を変えるとかじゃなくて、より多くのひとに知ってもらえるような努力をしたほうが良いと思う。
さらにレ・ミゼラブルのキャストの方が来てくださって披露してくれるイベントがある中で、お互いを盛り上げていこうとしてくれている気持ちを踏みにじる形になると思う。
歌詞を変える前にゴール裏の中心部以外の人達にコルリさんを増やして呼びかけたり、みんなで肩を組んで歌ったりすれば声量は上がると思います。
歌詞に関しては覚えていないから歌えないという人は少ないと思いますし、同じ歌詞でも天皇杯決勝の時や三ツ沢では声が出てたので。
自分としてはとても歌いやすいし、すでに愛着があるので変える理由が思い当たらない。
「民衆の歌」のトリコロールと決起、闘争心のイメージに共感しクラブを通してコラボレーションを申し入れ実現しているのに、それを一部でも変更する意味がわからない。
我々が歌っているのは「民衆の歌」で、歌詞を変えたら民衆の歌ではなくなる。
それを一部でも変えるのは最悪にダサいし、本家にも失礼では?
声量があがらないのではなく、F東のように演奏の音量を下げれば良いと思う。そうでなければ、たとえ歌詞を変えたとしても音量はあがらない。グラブ側、レミゼ側との契約等もあると思うし、私は今のオリジナルの歌詞が大好きだし、変えるのは絶対反対!
今のままで何の問題も無いから。
頑張って大きな声で唄ってるんですよ、実は。
けどなんか大きく歌えないんです、あの歌。
実は唄うのがとても難しい歌なんだと思います。
それが声量があがらない理由です。
【提案】
横浜のコーラスグループとか、声楽に経験豊富な方にきていただく。
試合前にどう唄えば大きく歌えるのかレクチャーしてほしい。
みんなで練習をするんです。
あの曲をもっと唄として捉えて、
適切な練習をして、
唄として正しく唄うことが重要だと思います。
以上です。
歌詞を変えて声量が上がると思わない。
現状の歌詞で声量をあげるために何かをして
効果がないと判断できた時に歌詞を変更してみるという方がいいと思う。
歌詞を変えるとサポーターしか歌えないため。
歌詞を変えないと初めてスタジアムに来たこの歌を知ってる人でも歌えるため。
マリノスにとっては国歌君が代くらいな位置付けでその歌詞を変えるなんてありえないと思います。
歌いづらいという理由なら、他に歌詞を変えるべきチャントはもっとあるはずだから
短期的な声量うんぬんではなく、これからの歴史の中で積み重ねるものであるから。
Les Misérablesの物なので、そのままの歌詞で歌うほうがいいと思う。また、素晴らしい歌詞なので、もっともっと定着して欲しいと思う。
歌詞を覚えていないから、声量が小さいのだと思います。
決して、感情移入しづらいとかの問題ではないと感じます。
またチャントとして民衆の歌を試合中にも歌ったらいいと思います。そうすれば、歌詞を覚えてくれる人が増え、試合前に歌われる民衆の歌も声量が上がると思います。
あんな素晴らしい歌詞の素晴らしいメロディーの歌を試合前だけしか歌わないなんてすごくもったいないです……
是非試合中にも歌いたいです!
普通に練習して覚えれば全然歌える!
曲は歌い続けるものだと思っているから
ここ数年だけ歌ってどうのこうのではなく10年後20年後50年100年と
歌い続けることにより感情が入る
俺の場合、なかなか歌詞を覚えられないので声を出せない所があります。
歌詞は良いと思うし変える必要はないと思います。
音楽のボリュームが大きすぎる。知らない人はどこに歌詞が出てるのか分からないと思う。
個人的にあの歌詞が好きだから
歌詞を変えたら、声量があがるとは思えない。「歌詞を変えたい」が本音で、「声量をあげるため」は口実ではないかと思う。感情移入しなくても、盛り上がるチャントはある。要は、歌いやすいかどうか。どちらかというと、トーンを変える方が歌いやすくなると思う。自分は最初から歌っているが、声量を取ると音が低くなって響かない、高くすると声量が出ないジレンマをずっと持っている。また、そもそも歌詞を変えるなんて発想がなく、今回の話に唖然としている。
声量が上がらないのは、皆さん歌詞をよく知らないからだと思うため。
歌詞が分かるようにスタジアムの大画面で表示し、かつカラオケではなくきちんとしたシンガーの歌が控えめの音量でいいので入っていれば、観客も合わせて歌いやすいと思います。レ・ミゼラブルの俳優さんたちがスタジアムで歌った時のように、一度プロの歌を聞かせて(どんな歌か覚えさせて)、「さあ皆で歌おう!」というようにもう1回観客と一緒に繰り返す(その時はカラオケでもいいかも)ようにすれば尚良いのでは。
また、これは個人的な印象ですが、「感情移入しにくいから」という理由で歌詞を改変することは、作詞者に対して礼を失しているようにも感じました。
2Fバックスタンド観戦者の立場から述べると
・スピーカーの大音量にかき消されてゴール裏の声が聞こえにくい
・歌詞がゴール裏の広告に表示されるから気づかれにくい
・そもそも映像は伴奏のみで歌声が入っていないから,歌うべき箇所だと思われていない可能性がある
と感じている.
「歌詞に感情移入しづらい」という以前の問題なのでは.
そもそも声量を上げなくても、雰囲気が出来上がれば良いのではと思います。
声量でインパクトを与えたければ、その後のチャントですればいいのではないでしょうか。
そういうものと思っていたから
2013年になり物入りでスタートし劇団四季とのコワーク等其なりに話題を呼んだはず。見直しをするには期間的に短すぎる。2013年には善意で歌詞カード等ゴル裏では配られたが全体的に歌詞の告知徹底が不十分。もう少しそちらに力を。仮に歌詞をつける場合、神戸賛歌やガンバの奴等のイメージなのか、逆にあれではもう着いてこれない世代も多かろう(感情移入が強すぎ、おしゃれでスマートな横浜市民にはそぐわない)出来合いのものでも充分素晴らしい歌詞。試合前の厳粛な環境に合うように思います。
反対。理由は簡単。ど素人が作った聞くに耐え無い日本語の替え歌の歌詞など歌いたくないから。確かに民衆の歌はサッカーにぴったりとは行かないかもしれない。が、方向性はあってるし、何よりも「公式の歌を歌っていい」という事実を頭に入れるべき。歌詞変えて盛り上がると言うなら、その根拠は?完成されているものを素人がいたずらにいじるべきではない。もう一つ。メインだと民衆の歌どころか、他だって歌を歌っているのかなんてわからない。根本的な問題は歌詞が云々ではないところにあるという事じゃないか。
声量の問題は歌詞が原因ではなく、ただ単に大きな声を出す事に照れがあるだけ。
時間をかけて上げていくしかないと思います。
今更変更するのはかえって混乱してしまうでしょう。
伴奏の歌に入るタイミングが取りづらいのも一因のような気がします。
あの演出は声量を上げることが目的でないと思うので。オリジナル歌とトリコロールを通したリンク、オリジナル歌詞とサポーター心理とのリンク、多数のトリコロール旗が波打つ視覚的効果があっての他クラブにはない荘厳な雰囲気が好きなので、歌詞にサポーター的わかりやすさは不要。というか逆効果ですらあると思う。
アウェイ観客の心理を考えると、延々とサッカーぽくないオシャレなことを続けられて、横浜はカッコつけて嫌い!と思われていそうなのも一興
歌詞に感情移入しづらいかどうか以前に、歌わない人は歌詞を知りません。
SC席、SB席に居て実感としてそもそも歌詞が知られていないと感じます。
LED掲示板に歌詞が表示されててもスクリーンに夢中で見てません。声量を上げるなら、
スタジアムに来る客が能動的に歌詞を探す事を期待するより、歌詞カードを配布するなどの啓蒙活動を数年単位でやり続け、広めて定着させる事が先です。
また、一部でも歌詞を変えると、それはレ・ミゼラブルのものではなく、ただのサッカーファンの応援歌の1つになります。異業種、異文化とのコラボレーションを進めるクラブの方針に合わないでしょう。歌詞を一部変えるくらいなら、そもそも歌う曲を変えればいいかと。
まだ数年なのにもう変更するの?という印象です、こういうのはやり続けることによって人数が増え力強さが増すものだと思っています。
反対。
・ゴール裏以外の人も揃って立ち上がって旗を振るのが定着したので声量を上げなくても十分に演出の役割を果たしている。歌詞の変更は無関係
・歌詞を変えたいという話はもとより声量が上がらないことが問題だという話自体を初めて聞いた。本当にそのことが問題なのか
・今年から歌詞カードを配らなくなったのはなぜか。今そこにある歌詞を生かす努力をする前から歌詞のせいにするのか。矛盾している
・元の歌詞で十分に感情移入できる。あの歌詞が良くてこの曲を選んだではないのだろうか。あれよりもっと良い歌詞を考えるのはできないと思う。この曲に関しては歌詞を変えるなら曲自体を他の物にした方がいい
・試合前の国歌斉唱に近い使われ方をしていると思う。その際の国歌は替え歌するものではないし、チャントとして使いたいならちゃんとチャント化してチャントを歌うべき場面で使って欲しい
声量が上がらないのは歌詞の問題ではないと思います。。歌詞を知らない人が多い、スピーカーの音量が大きくて歌っているのが聞こえないのが原因ではないでしょうか。まずは歌詞カードを配るなど、周知することが先ではないでしょうか。また、女性にはキーが低くて、合わせると低すぎ、高くすると高すぎで声が出しにくいです。
歌詞変えたら台無しになるから
メジャーな歌なので、素人が手を入れると安っぽくなりそうで怖い。
ただの替え歌に成り下がりそう。
もし変えるのなら歌詞を無くして「ラララララー・・・」が良いと思う。
あと、声量が上がらないのは単純に羞恥心の問題だと思う。
歌が入った曲を大音量で流せばみんな歌うと思う。
実際に劇団四季が歌った時は一緒に歌っていた人が多かった気がする。
そもそもミュージカル曲なので、素人が大きな声で歌うのは難しい。でも歌詞を変えるのは反対。歌わなくても良い。この歌がスタジアムに流れることに誇りを持ちたい。選手のチャントだって声が通らないものいっぱいあるよ。
せっかく覚えて歌っているというのと、レミゼラブルのキャストの皆さんに来てもらって、コラボもしているのに歌詞を変えてしまうと、今後コラボなど厳しくなるのではないか?著作権的なものは大丈夫なのでしょうか?
あと、歌詞を変えたからと言って声の大きさが大きくなるとは限らないと思います。
女性の声だと低い部分が音が取りにくいので、その部分はどうしても声が小さくなってしまうと思います。なので、歌詞に感情移入出来ないから声が小さくなっているわけではないと思います。
今のままでも、良い歌詞だと思うし、民衆の歌が流れて選手入場という、一連の流れはすごく良いと思ってます。
上記のような思いから、民衆の歌の歌詞変更には反対です。
歌詞を変えるくらいなら、民衆の歌にこだわる必要がない。
アンセムとして素晴らしい歌である、(今の)歌詞を含めたの民衆の歌が好きなので、歌詞を変えることには反対です。
「勝利の歌なのに、コーヒールンバは曲調が暗いよね」という意見に、「じゃあ長調に編曲しよう!」となるようなものです。滑稽です。
声量があがらないのは、この曲が難しいから。感情移入の問題ではありません。
この壮大な楽曲を使えるだけ、有難い話しです。
あの歌は「歌わせて頂いている」立場であると考えているからです。
選手のチャントとは別物と捉えております。
歌詞は今のままでイイと思うよ
声量を上げるのに歌詞は問題ない。
曲のテンポとスピーカーから流れる音量が問題だと思う。
「ひ~とり~
ひとりの~」
のように始めてみては。
歌詞を替えるなら民衆の歌を歌う意味がないと思うから。
歌詞を替えて本家よりかっこよくなるのか疑問だから。
あの歌詞で覚えてる人が多いと思うし、今の歌詞をわざわざ変える必要はないのかなと思います。声が出ないのなら歌詞カードの配布や歌詞をスクリーンに移すなどまだまだ色々な対策はできると思うので、やれることをやっていけば自然と出てくるようになるとは思います。民衆の歌とトリコロールの旗に埋めつくされるゴール裏が大好きなので、もっと良い民衆の歌になるよう1人1人の意識を変えていく必要があると思いました。
オリジナルで十分感情移入できるから。
オリジナルを知ってる人なら歌えると言うのもメリット。せっかく共同でキャンペーンもやっているのが無駄になる。
歌詞を変更してもサポーターが大きな声で歌うようになるまでには時間がかかることにかわりはないと思うし, そうだとすれば現状の歌詞で問題ないと思うからです. 民衆の歌それ自体は魅力的だと思います.
「民衆の歌を自分達の歌だと思うことができれば―」というのが歌詞変更の狙いだと思うのですが, それでも私は民衆の歌に対して持ってしまう「天から降ってきた」という印象を拭い去ることができません. 試合前に民衆の歌を流すようになった経緯を私は正確に知らないのですが, 嘉悦社長になってからのこれまでのクラブの姿勢から想像すると, マリノスを大切に思う気持ちからでてきたものだと考えることができません. 「演出としてこういう雰囲気を作ることができれば集客につながるのではないか?」という逆算から生まれたもののように思います. 不純な動機がきっかけなら定着までに時間がかかるのは当たり前ではないでしょうか?
声量が上がらないのは周知不足、キーの高さ等が原因と考えられ、「歌詞に思い入れ出来ないから歌わね」って人が本当に多いのかは疑問です。
また「有名な歌をベースにした歌」はどのクラブにもありますが、東宝・帝劇のお墨付きがあるマリノスの民衆の歌をサポーターみんなで歌えるという事は、他のクラブとの明確に差別化できるポイントです。
それを捨てて他の応援歌やチャントと同列に落としてしまうのは、明らかに損失であると考えます。
こんなにぴったりな歌詞を変更する理由がわからない。
私はバックスタンド席ですが、周りの方々も歌っていますよ。
声量は大音量で消されているだけだと思います。
歌詞を変えたらもっと聞こえなくなりそうに思います。
現在の問題点は、声量の前にBGM音量対策が先だと当初から感じている。以前の仕事柄、現状は演出方法について実際の制作・スタジアムOPと本当に相談したいレベルなのが残念。歌詞については、プロが作った原曲の日本語歌詞より良くなるとはどうしても思えない。また、マリノスと東宝というオフィシャル同士の利権が絡んでいる中で、変えても良いと了承を得ての発信とは思えない。
また、ラストの質問は複数選択したいくらい甲乙つけられないです。そもそも導入の経緯はアンセムとして根付かせてきたのではないですか?そうであるなら、演出方法も同等に大切です。今回は、歌声が響かない事が原因なので、あえて演出にチェックさせていただきます。
新歌詞の周知、習得までかなり時間がかかって、一時的(1年程度?)に逆効果ではないかと考えます。
その移行期間中に、やはり戻そうという意見が少なからず出て、混乱をきたすことも予想されます。
①上手い言い方かどうか分からないが、変えてはいけないようなモノと言う認識。
②感情移入し辛い事はない、感情移入出来ると考える。
③声量を上げるのは、人が狭いエリアに集まって、周りが歌うから自分も歌える、と言う環境を作る事である程度の効果があると思われる。
元ゴール裏で今はバクスタ指定席で主に観戦しています。
①音響が大きすぎて声がかき消されてしまう事が原因と考えています。
ゴール裏にいた頃は『段々声が出てきたな』と感じたものの、そこを離れてみると音響が大きく、声はほとんど聞こえないと感じたからです。
②レミゼキャストとのコラボ、映像演出など『民衆の歌』をアンセムと捉えて行われるチーム演出がある以上、自作チャントのように『○○だから変えよう』と気軽に変えれるものではないかと。
まだ始まって数年、やっとよく来るサポ・ファンには認知されてきたところで変えてしまうより、じっくり腰を据えてマリノス=民衆の歌と浸透させてマリノスの文化になれば良いと思います。
バクスタでは、歌う人はかなり少数派です。
静かで歌いにくい雰囲気があります。
スタジアム全体で歌うためにはまずは、バクスタや各地に声出し係をおいて歌いやすい空気づくりも一つの案かと考えています。
曲はいい曲だし音量が上がらないのはみんなで盛り上げじゃないからじゃないかと思います
確かにチャントに比べて歌ってる人は少ない でも歌詞の問題ではないと思う BGM無しで三ツ沢で歌ってるのは良く聞こえた 音を少し小さくしてもらうのもいいと思う
民衆の歌の音量が足りない≠歌詞の内容があっていない、であるから。
より積極的に「民衆の歌をみんなで歌おう」というキャンペーンの方が大事。
最初の発案はサポかもしれないが、奔走して数多の障害を取り除きながら、やっとの思いでそれを実現させたのはクラブ。それをサポの勝手な都合で歌詞を変更するとは、あまりにも傲慢であり、実現をさせたクラブの苦労に対してあまりにも敬意と想像力に欠けた考え。あまりにも恥ずかしいので、「サポの相違」と見える偽りの包み紙にくるんだ要望はしないでほしい。というか、要望自体をしないでもらいたい。
また、民衆の歌と聞いて頭に思い浮かべるのは、今の歌詞。それを変えてしまったら、「民衆の歌」ではなく「民衆の歌の替え歌」でしかない。劇団四季とコラボするなど、「マリノスは劇団四季も公認で民衆の歌をクラブの応援歌にしている」という格式高いものから、「マリノスのサポが、民衆の替え歌を歌っている」というものに落ちる。それはあまりにも耐えがたい。『そんなことすら分らないバカ』と思われたくないので、クラブに伝えることも絶対に反対。
どちらかと言えば反対。現状の歌詞でもじゅうぶん合っていると思う。
声量が上がらないのは、音程が取りづらいからでは?
ただ、ほんの少し長いと感じる。コンパクトにするための変更はありかも。
「民衆の歌」はチャントではない。5年,10年,…と歌い続け、マリノスの象徴となるべきもの。歌詞変更には絶対に賛成できない。
バックスタンド側では、チャントを大声で叫んでいる人は殆どいないが、試合前の「民衆の歌」を共に歌う人は結構いる。
また、コールリーダーが例としてあげた、「戦えそれが自由への道」の「自由」を「勝利」と変える案だが、歌の背景を考えれば『自由=勝利』であり、十分感情移入ができる。
他の箇所も同様で、つまり「民衆の歌」は現状で完成された歌であり、変更の余地はない、というか変更してはいけないと考える。
今の歌詞だからこそ感情移入できる。選手紹介から民衆の歌、選手入場の流れにいつも鳥肌がたつ。闘いの前に流れる絶好のメロディラインと歌詞。いつも他のどんな応援歌よりも声を出しているので、他の歌詞に変わってしまったら正直悲しいし、自分はもう歌わないと思う。いや歌えない。他の歌詞に変えたところで声量が上がるとは思えない。なんで変える必要があるのかが分からない。原曲があるのに、歌詞を変えることに違和感しか感じない。誰かもTweetしていたが、今の歌詞を浸透させることを考えたほうが良いと思う。
たしかに「やってみないと(歌詞を変えて歌ってみないと)」わからないかもしれません。
しかし、そもそも発案された方が、「原曲」を聴いて「サポーター皆で歌いたい」と始まったと認識していたので、変えるということが、なーんかスッキリしないのです。
だからあえて言えば「どちらかと言えば反対」っていうのに近い感じです。
歌いたくても、歌詞がわからない。
どこかで表示しているとのことだが、良くわからない。
せっかく大画面になぜ、表示させないのか。
盛り上がらない=歌詞を変えると言うのは極めて短絡的。
例え変えたとしても『俺たちの~、横浜~』
では現状は変わらないと思う。
逆に『民衆の歌 日本語』で検索をして出てくる歌詞はそれだけでアドバンテージがあると思う。
いずれにしても歌詞を広げていかないと声量アップには繋がらない。
もし声量だけをあげたいなら横浜市歌を歌えばよい。
継続することが、大事。長年ぶれずに継続すれば、歴史となり文化となる。
歌詞を一言でも変えたら「民衆の歌」ではなくなります。あの伝統ある「民衆の歌」に、マリノスの伝統を重ね築いていく事に意味と誇りがあると思います。
「民衆の歌もどき」を歌い継ぐようなカッコ悪い事は、お願いだからやめて頂きたい。
音響の音量などの調節次第でも、
声量の響きはかわると思います。。
そして、やっと、浸透してきたばかりだと思いますので
もう少し根気よくもっと根強くまで
やっていくべきかと思います。
かえるのは簡単だと思いますが、
継続してやり続ける事も大事なんじゃないかな?

個人的には思っております。
ミュージカルの出演者に来ていただいた時に替え歌にをうたってもらうわけにはいかないでしょう。もし、変えるなら作詞家やミュージカル出演者を巻き込んでレコーディングするぐらい大々的にしてほしい。
問6でも答えてますが自分としては「演出」のひとつとして考えてます
なので歌詞に対して特別な感情等はありません
しかし歌う様になりコラボ企画などがうまれてお互いに良好な関係だと思う所で歌詞を代える必要はあるのかな?と
声量を上げるなら
BGMの音量を下げたりする方が効果的かと思います
歌ってる人が少ない
歌詞がわからない方が多いのかと
スタジアムのLED広告に歌詞が出てるのを知らない方も多いのでは
始めてまだ数年
根付いてくる過程の今
マリノス=民衆の歌
になるにはまだまだ時間がかかると思います
そもそも、歌詞がワカラナイ。
伴奏が、歌いづらい。
歌詞ではなく音量がわかりにくくなる低い音程だからだと思う
声を張り上げにくいキーなのでしかたない
歌詞は変えるべきでない
そんなことより勝つ前にwe areを歌う是非を問いたい
歌詞変えたら、それは民衆の歌ではないとおもう。
声量がでないのは、単純にこの歌を歌い始めて月日がたってない(たかが2年)、浸透してないからだとおもう。海外クラブでサポ全員が歌ってるのは何十年も歌われてきたからではないだろうか。
また、自称歌うまい私的に、この歌は難しい。高低が激しいので多少歌いづらさはあると思われる。
歌詞を変えるよりも先にやるべきことがあるのではないだろうか。サビだけにするとか
声量が上がらないのは歌詞が理由とは思えない。
テンポを少し早くする、歌詞を大画面にも表示する、だけでも皆が歌い易くなると思う。
「民衆の歌」としてのブランド価値が下がると感じるため。
歌詞はオリジナルと同じ方が帝国劇場とのコラボも継続しやすいと感じるため。
声量が上がらないという判断にも同意しかねる上、そうだとしても歌詞が原因とは思わず、そんなに早く浸透させないといけない理由もわかりかねるため。
スタジアムで試合前に歌うだけではなく、「マリノスの応援?ソング」としての普及を図るには、音源が豊富なオリジナル歌詞の方が有効と考えるため。
なお、問6の回答「位置付け」はあまり厳密に定義ひていないので最も「やんわりと」したものを選択。「いずれでもない」などの選択肢が欲しい。
歌詞の問題ではないから。
まず、民衆の歌に対する認識が曖昧すぎる。
試合前に歌ってれば定着するだろう。っていう甘い考えで始めたから声量がいつまで経っても上がらない。
「試合前の映像の時に流れる曲」ではなく「マリノスのアンセム」であることを拡散し、定着させることから始めるべき。
そうゆう基礎から作らずに、歌詞を変えるとか言ってる応援団に一番問題があると思ってます。
あとスタジアムでの伴奏の音量が大きすぎる。
FC東京のYNWAみたいに、音量を抑え気味に伴奏が始まり、徐々にアカペラだけにするのが良いと思ってます
伴奏抑え目に、そしてアカペラだけになれば、歌ってる方も自ずと声を張って出すと思います。
スタジアムの大きさ、集客数からして一部の継続して来ているエリアの人達が歌っているだけの現象なのだろうから、ここで変えたところで定着するはずも無いだろうから。集客数が大きく増えても今の状況なら考えるべき事柄だと思われる。
感情移入しにくいからとゆうよりは歌詞が分からない部分があるからだと思う。
歌詞をかえると余計に分からなくなるのではないか。
1
スタジアムで音楽を流してるのは
東宝さんの御好意もあってのことなので変えることは反対。
恩のある相手をないがしろにするのは嫌いなので
2
コロコロ変えるのは、定着性を低下させる
こういうものは「愚鈍に続ける」こと自体に価値があると思う
3
コールリーダーのtweetを見る限り
真ん中で跳ねてる人以外の話は聞かないような態度だった
そういう閉鎖的な考えの人は信用しにくい
元々の歌詞の内容に、全く不満ない。
歌詞を変えるとなると、誰もが納得するものになるのは極めて困難で、結局声が大きい人が決めることになりかねない。そんな歌詞が、元々の歌詞よりも支持されるとは思えない。
そもそも、歌詞が変われば声量が上がるという考えが理解できない。歌う人はどんな歌詞でも歌うし、歌ってない人が歌詞が変わることで歌うようになることもないと思う。そんなことより、スタジアムの一体感、歌いたくなる雰囲気づくりの方がよっぽど意味があると思う。
そもそも大声で歌う文化が根付いていない。歌うつもりでスタジアムへ来ていない。何年も続けて、ライト層に認知されて、徐々に歌う人数が増えて、それでようやく声量が上がるのだと思う。歌詞の改変は、初見者、ライト層の参加を阻害する。
スタジアムBGMの音量があり、相対的に声が小さく聞こえる
旗があれだけ有る中で、声が通りにくい等は有るかと思います。
これらは歌詞を変えても変わらない。
マリノスVer.を増やすのも一案であるかと思う。
「サポーター・ファンの心を一つにする」所にこの曲の意義が有ると思います。一体感の創出をいかに作るかという方向では同じベクトルですが、
歌詞の変更には反対とさせて頂きます。
原曲を使用させてもらっている意味がなくなってしまう。
声量があがらないのは、歌詞のせいではないと思う。
元々民衆の歌はクラブ側が企画したもので、アンセムの位置付けをクラブ側は意図していると了解している。勝手な歌詞変更はクラブ側意図と異なってくる。また、現在の歌詞でも、充分試合前の戦意高揚にマッチしている。
感情論以前の問題じゃないかと思うのですが、歌詞を変更する場合、現在のようにクラブと連携して、というやり方はできなくなると思います。試合のチケット代は民衆の歌の演奏に対して直接対価となるようなものではありませんが、おそらくクラブは現状民衆の歌の使用に対して使用料を払っているのではないかと思います。今の運用はチャントで使用するのとは訳が違うので、歌詞を変更するのであればクラブとの連携をやめ、通常のチャントレベルに落とす必要があると思います。それでも同一性保持権などを実際に主張されたらそこまでですが…。
歌詞が周知されていないと思う。大型ビジョンの下の部分に歌詞掲載したらよいのでは。
音楽流しているのだからクラブの協力も得られるのでは?
この曲の位置づけがあまりよくわからない。入場曲ということ?
広めるには時間が必要だと思う。続けるなら10年続ける気持ちがあるかとか考えてほしい。
感情移入とか考えた事もない。
今の歌詞で十分にテンション上がる。
歌詞変えたら、次のレミゼが試合前に歌う時、俺たちは困惑すると思う。
歌詞を替えても問題は変わらない。
むしろ音楽のボリュームが大きすぎる感があります。

<歌詞の変更内容によっては賛成の理由>

歌詞の周知、浸透が不十分であることが声量不足の原因であり、そこに力を入れるべき。
一方、民衆の歌がよりマリノスらしく、多くの人が納得できるような歌詞変更の提案には賛成である。
歌詞を変えることでよりチームに即した応援になるのなら歌詞を変えることもいいとは思いますが、著作権などの面でどうなのかな…とも感じました。個人的には今のままでも荘厳な雰囲気があって試合前に気持ちが盛り上がるので今のままでもいいと思います!
そもそも歌詞をオーロラビジョンに表示してほしい。ユルネバみたいに。それだと口ずさむことが出来るようになる人は増えると思う。
今のままが好きだしミュージカルの方が来てくださったりする部分を大切にしたいです。
また、チャントを作る基準がわからなかったりする声もある通り、一部の人たち次第という感じがして一方的にこれにしますと言われたら絶対に納得できなかったと思います。
ですが、このようにアンケートをとったりした上でそれでも変えるとなり、それによってマリノスの民衆の歌というように愛着を持つことができるなら長い間付き合っていくものとして考えることもありだと思います。
歌詞を変更することでマリノスらしさをもっと出してもいいかなと思う。
マリノスらしさが出ると、愛着も出てくるかなと
歌なんてもんはその都度自由に変更すべき
自由にいこう
声量がないのに続けるのもいかほどかと思いますが
中途半端にいつのまにかやらなくなる…というのは
一番かっこわるいし、腑に落ちないです。
歌詞を変えて声量が上がるのならいいですが
そもそも今のマリノスは一部のサポーターのみが
声を出し応援しているようにも感じられます
(ブーイングのみの人が多かったり、偏った応援歌ばかりの空気に
ついていけない人がいたり、、)
もっと知らない人を巻き込んでサポーター同士の隔たりを
無くすことができたら声量が少ないといった問題を
根本的に解決できるのではと考えます
よりマリノスらしさが出るから
今の民衆の歌は、試合前に歌いトリコロールの旗を振るからかっこいいと思う。でも、歌詞がレミゼに関連してる歌詞だと個人的には思うから、歌詞の変更次第だとありだと思う。今の歌詞の中にあるいい歌詞は残して、オリジナルを取り入れるという形にするのが一番いいと思う。
声量が上がらないのは歌詞のせいではない。「列に入れよ~」のところは全体に音域が低く、声を張り上げにくい。「戦う者の~」も最後に転調してやっと声量が上がる高めの音域に到達するが、それまでは音域が低い。そこで提案。
①「列に入れよ~」のところを歌うのはやめる。
②「戦う者の~」のところは初めから高めの音域で歌えるように場内に流れる伴奏を移調する。
以上です。

<賛成の理由>

Bメロが入ると歌うのが難しくなるから声量が小さくなるのかと思われます。
2014年元日の天皇杯決勝で歌ったあの感じだと歌いやすいと思います。
歌詞に感情移入できない。
今の民衆の歌はマリノスには関係ない歌詞で構成されている。よってマリノスへの想いに則した内容に変更することに反対しないし、むしろ積極的に変更したい。
なかなか歌詞を覚えられないので、マリノスらしい歌詞にした方が歌いやすいと思う。
戦えそれが自由への道~ などと言った映画の場面に沿った歌詞は変更しても良いのではないかと思います。
歌詞を変えることでみんなが一つになって声を出して,それが選手達を後押しする力になると思うし変えてもいいと思う。
今から戦うのに「明日が来た時 そうさ明日が!」、「自由への道」とかちょっと合わない気がするため。
番外意見ですが
クラブ側対応かもしれませんが
前奏が長すぎて、間延びの感じで
歌に入りづらいきがしています。
二番が子供には難しいし、覚えずい。
また、もっとシンプルな方が、皆覚えやすく歌いやすいし、
もっともっと声が出ると思います。
始めて来た人でも、一回聴いたら覚えられる用なのが良いです。
2番がよくわからない

<本調査>
インターネット調査 有効回答数697 2015年5月31日より6月1日まで
アンケートサイトへの任意の回答者(マリノスサポーター)

<予備調査>
インターネット調査 有効回答数819 2015年5月19日より5月28日まで
アンケートサイトへの任意の回答者(マリノスサポーター)