Jリーグ2階の目線2015 横浜1-2清水


この敗戦の責任は中村大先生にはない。攻撃が機能せず、守備が崩壊した原因は明白ではないか。試合終了のホイッスルと同時にスタジアムはブーイングに包まれた。酷い負けだった。クラブの宝であるレジェンドは試合途中でピッチを去った。少しばかり機能しかけた攻撃は、いつの間にか放り込みとなる。惜しいシーンもあったものの、ゴールに入っていたとしても引き分け。引き分けで終わっていても、試合後はブーイングとなっただろう。

「ここに勝てなくて、どこに勝てるんだよ。」
「残留ラインまで勝ち点12かな。厳しいかもしれないぞ。」
「残り12試合。一つも勝てる気がしなくなってきた。」
「となると12引き分けで残留ですね。」
「そっちの方が難しいわ!」

中村大先生への評価は分かれた。おそらく、評価の前提条件が異なっている。中村大先生が「パスの出し手」だと考えれば、この試合の中村大先生は悪くはない。パスを出そうとして周囲を見てもパスの受け手が見当たらないために攻撃のスピードが落ちるのだ。その考えにはうなづける。

一方で、監督の考える「パスの出し手」は、おそらく中村大先生ではない。そして現実も異なっている。この試合で「パスの出し手」となったのはファビオだ。速くて有効な縦パスはファビオからアデミウソンに送られている。本来であれば、アデミウソンは近い距離の味方にボールを預けて、次のスペースに走りこんでパスを戻してもらいたい。つまり、中村大先生はトップ下というポジションで、アデミウソンの近くに走り込み、アデミウソンからの「パスの受け手」となることが求められている。しかし、そのようなシーンがあまりに少なすぎた。先制してからは、サイドに開いたり、中盤の底近くまで下がるポジションを取ることも。中村大先生本人は「パスの出し手」になりたかったようだ。「パスの受け手」となるべくアクションが少なく、前半から攻撃はスピードが上がらずチグハグだった。

そもそも、この試合が惨敗に終わった責任は監督にある。中村大先生のコンディションは全盛期や2013年からは程遠い。前から少しばかりのプレシャーをかけられれば逃げのパスか後ろへのドリブルをせざるを得ない。強引にボールを前に運ぶことも、身体のキレで敵を振り切ることもできない。それは前節の広島戦でも明白であったし、練習でも同様だったはずだ。2013年に驚愕の感動を与えてくれた守備の貢献もない。このコンディションの中村大先生をトップ下で起用する場合のリスクは、サポーターよりも監督の方がわかっていたはずだ。でも、エリクモンバエルツ監督は起用した。そして、攻撃は遅くなり、アデミウソンは孤立し、前線からの守備を失って最終ラインは後退するばかりだった。エリクモンバエルツ監督が中村大先生をトップ下で起用したことが間違えなのだ。責任は監督にある。たとえレジェンドでも無理は無理。出来ないことは出来ない。起用してしまったとしても、あと15分早く交代させるべきだった。

監督が全ての試合を勝ちにいっているかは疑念がある。だが、課題の把握をする目は確かだ。対策も打ってくる。前節に中村大先生と横の関係を作る時間が長く、横パスのオンパレードだった中町は、途中交代でピッチに登場すると別人のような縦の動きを見せた。藤本の仕掛けも素晴らしかった。それだけに、この試合での中村大先生の起用は残念だった。あんな中村大先生は見たくない。

ここから2週間のインターバルがある。なぜ、ここで中村大先生をトップ下に起用したのだろう。十分な準備の上で、次節の起用でも良かったのではないか。不可解にも思える。
「でも、ちょっとまってよ。もしかして、ここでトップ下に起用して、ダメだったらダメだとみんなが納得した上で、2週間をかけて立て直すつもりだったんじゃないの?」
「その説には納得感があるぞ。」

次節の監督采配に注目だ。ひょっとすると、この試合は、大きなターニングポイントだったのかもしれない。その仮説が正解だったか思い過ごしだったか、答えが出るのは2週間後の名古屋戦だ。

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