マリノス三大未完の大器

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まず、皆様に申し上げたいことは、未完の大器とは「大器」であるということです。「大器」でなければ未完の大器と言われることはないのです。

1 大きかったのは身体と発言 田原豊

身長187cmと、日本人離れした身体能力に恵まれ、プロ入り前から「将来の日本代表を背負って立つ逸材」と期待されていた。プロ1年目でも「最低でも得点王が目標」「2002年の日本代表入りを目指す」と発言。一方で、試合の前日に深夜のアミュージメント施設で遊んでいるところをサポーターに目撃されるなど、プロとして自覚に欠けた。京都移籍後も2部練習の合間にタクシーで街に繰り出そうとして、「こんなことしてる場合じゃないだろ?」とファンの運転手に説教されるなど自制は効かず、プロ8年目にして初めて自主トレを実施。最後まで、その素質は開花することがなかった。

2 全盛期は高校卒業前 阿部祐太朗

2000年のAFC U-17選手権で得点王。桐蔭学園高3年在籍中に、特別指定選手としてJリーグデビュー。ボールタッチの柔らかさなど、その才能をサポーターに見せつける。しかし、その3試合のプレーが彼のキャリア最高のプレー。プロ入り後はパフォーマンスが低下の一途をたどる。練習不足により筋力が極端に弱かったと言われている。

3 スタイリッシュなテクニシャン 狩野健太

静岡学園高等学校からプロ入り。2年目に勝負強さを見せて大活躍。木村幸吉監督時代は残留争いを切り抜ける切り札として主軸になるが、同ポジションの中村俊輔がスペインから帰国して再入団するとポジション争いをすることもなくプレーは右肩下がりに。福岡への移籍が決定するが「福岡に移籍する健太くんの壮行会」が友人のブログに掲載され移籍は白紙に。出場機会も失われ、その後、柏、川崎へと移籍する。