浦和×浦項のごみのポイ捨て騒動は、なぜ拡大したのか? マリーシア感情的サポ論


2016年5月3日ACL1次リーグH組、埼玉スタジアムで開催された浦和×浦項の試合終了後に浦項の選手が、腕に巻いていたテーピングを外してピッチに捨てた。これを西川が拾い、浦項の選手に握らせようとしたことで両クラブの選手がもみ合いになった。この騒動は大きな話題となった。その話題は飛躍脱線し、韓国人に対するヘイト表現の氾濫にまで至っている。なぜ、このような騒動になったのだろう。

西川は「埼スタのピッチを汚されるのはイヤだったので」とコメントしている。メディアは「試合中も試合後も、選手やサポーター、そしてスタジアムに対しても敬意を払うべきである。(フットボールチャンネル)」「プロとしてあるまじき行為(日刊スポーツ)」と報じた。

西川が併せて「フェアプレー精神がない選手は、絶対に上にはいけない」ともコメントしたことから、浦和サポーターを中心に日本のサッカーファンの間では「フェアプレー精神0」「韓国勢はマナーが悪い」「サッカーやる資格ない」と言った言葉が飛び交った。

ピッチにモノを捨てることは多くの日本人にとって腹立たしいことであるのは共通認識であろう。「ピッチは聖地」という表現もある。なぜ、このような騒ぎになったのかを考えるにあたっては2つの理由を明確にする必要があるのではないか。

1 なぜピッチにモノを捨てることが日本人にとって腹立たしいのか?
2 なぜ韓国人選手はテーピングを外してピッチに捨てたのか?

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1 なぜピッチにモノを捨てることが日本人にとって腹立たしいのか?

日本では試合会場のピッチや練習グラウンドに足を踏み入れるときに一礼をするように指導者から選手は指導されることが多い。埼玉スタジアムの騒動と同日の5月3日に相模原ギオンスタジアムで開催されたプレナスなでしこリーグ二部ノジマステラ×愛媛FCでは、米国籍選手、台湾籍選手がピッチを去るときに一礼していたことに驚いた。来日し、チームの習慣として身につけたのだろう。

日本には「自然万物に神が宿る」という日本独自の宗教観がある。練習でグラウンドに足を踏み入れるときは、無事に練習が出来るようにグラウンド(の神様)に一礼する。そして、練習が終わった後に、無事練習が出来たことに感謝しグラウンド(の神様)に一礼して出る。試合会場のピッチでも同様だ。埼玉スタジアムでの騒動では「フェアプレー」「スポーツマンシップ」といったワードがコメントに混在しているため、西川が行為に至った理由がわかりにくいが、根底には、この「自然万物に神が宿る」という日本独自の宗教観がある。つまり、テーピングを外してピッチに捨てたという行為は、西川をはじめとする日本人にとって宗教観的に受け入れがたい「『自分たちが存在を感じているピッチの神』が宿る場所にゴミを捨てられる」行為だったのだ。しかし、多くの日本人は、これを「共通の宗教観」として理解していない。「日本人は無宗教である」と信じ込んでいる人も多い。「共通の宗教観」という概念を認識していないと、これは「常識」「当たり前のこと」として認識される。

2 なぜ韓国人選手はテーピングを外してピッチに捨てたのか?

これについては、ほとんどのメディアで検証されていない。アウエイのスタジアムでの引き分け。荒れたゲームだったということもあり、浦項の選手が、正常な心理状態ではなかったことは想像できる。だが、果たして、韓国人選手がテーピングを外してピッチに捨てるという行為が、どれくらい対戦相手を侮辱したり挑発したりする行為なのか、ということが明らかにはなっていない。過去の試合の動画や資料を確認しても明らかにできなかったのだが、5月7日に得た証言では韓国国内でKリーグ(水原FC×済州ユナイテッド)を観戦しているJリーグサポーターから情報を得ることができた。
「テーピングを捨てて帰る選手いました。ギリギリラインの外でしたけど。」
試合後にテーピングを外して芝生の上に捨てるという行為は特別なことではなく、どうやら韓国では普通に行われている行為のようなのだ。通常では意識せずに観戦しているために気がつかなかったようだが、埼玉スタジアムでの騒動の直後ということで意識して観戦してもらったためにテーピングを捨てて帰る選手を目撃するに至った。

そこで、思い出した騒動がある。2016年4月20日にニッパツ三ツ沢球技場で開催された横浜×鳥栖の試合中に起きた喪章投げ捨て騒動だ。腕につけた喪章が数度外れかかった韓国籍選手がタッチライン際でのプレー中に喪章をピッチ外に投げた行為が「喪章を投げ捨てた」と非難されたのだ。韓国籍選手はプレー中に踏んでしまうピッチ上に喪章を落とすよりもタッチラインの外に投げる行為を選択したのだが、この行為にも大きな批判が巻き起こった。

さて2つの理由をから騒動が起きた原因を整理してみよう。以下のような経緯で騒動は大きくなったのではないだろうか。
●韓国人選手は、日常的に行っている行為として試合後にテーピングを外して捨てた。
●しかし、ピッチの中は捨てる場所としては良くないという考え方も一方では韓国人選手の中にあるため、捨てた韓国人選手とは別の韓国人選手が捨てられたテーピングを一度は拾った。
●西川は「自然万物に神が宿る」という日本独自の宗教観から怒ったように見える表情でテーピングを浦項の選手に握らせようとした。
●怒ったように見える表情の理由(日本独自の宗教観)までは理解できない韓国人選手は逆に西川の行為に激高し西川に詰め寄って騒動が大きくなった。
●「自然万物に神が宿る」という日本独自の宗教観を宗教観とは認識せず、西川のコメントの中のキーワードを拾って拡大解釈した、「常識」「フェアプレー」「スポーツマンシップ」を重視する浦和サポーターが「常識がない」「フェアプレー精神に反する」「スポーツマンシップに照らし合わせてスポーツマンとしてやってはならないこと」として韓国人選手非難を拡大。
●韓国嫌い、韓国人嫌いが、この状況を利用して日本人の優位性を主張。韓国人へのヘイト表現を氾濫させる。

さて、このように整理してみると、騒動が拡大した理由は、一方的に韓国人選手側にあったわけではない。もちろん、原因は試合後にテーピングを外してピッチに捨てた行為にある。だが、違う国籍、違う宗教観、違うサッカーをしている者が交差する国際試合だ。考えられる理由を推察し、相手を理解しようとする行為もメディアやサポーター側に必要だったのではないか。実際には騒動は必要以上に拡大し、サッカーは差別主義者に利用され、ヘイト表現を氾濫させることに繋がってしまった。そのことを、メディアとサポーターは軽く考えてはならないだろう。今回の騒動の舞台は浦和だったが、今後、多くのクラブが国際舞台に立つ。アジア各国籍の選手がJリーグでデビューを果たすなど。これまでは接点の少なかった国籍の選手との接点も増えることが予想される。これを教訓として未来の未だ見ぬトラブルの際に生かしたい。

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