「監督は理詰めで進めたいのだけれど、ガッツで応えようとしてきた選手がいるよね。」
「そのギャップでうまく行っていないところがあるよね。」

勝ち点が増えない。でも、私たちに悲壮感が漂わないのには理由がある。一つは、理想としているスタイルのゴールを、多くのサポーターが共有していること。そして、そのスタイルのイメージは、おそらく監督とも大差がないこと。欧州を席巻しているマンチェスターシティの展開するサッカーは動画サイト等でいくらでも見ることができる。何が違うのか、何をできているのか。サポーターは試合と試合とのインターバルにネットでディスカッションしてきた。

そして、試合のたびに課題は見つかった。なぜか、その課題の解決策を、決まって監督は次の試合で講じてきた。サポーターの見つけた課題と、監督の考えた解決策がシンクロしているように感じる。そして、二つ目の理由は、監督の講じる策に柔軟性があること。特に、選手のできることに合わせて、段階を追って理想としているゴールに近づけている。

この日は、中盤を中町と天野の2枚のセントラルミッドフィルダーにしてきた。いわゆるアンカーとか中盤の底とかと言われる仕事ではない。中盤はフラット、または2人が交互に前後する。そしてツートップには伊藤翔が入る。伊藤翔は、基本、前後に動く。サイドには流れない。

「この布陣は想像できなかった。」
「でもこのサッカーは、ボールや相手に対してやることが決まっているから、選手のスタート位置が違っていても、始まってしまえば、やるべきことは同じなんですよ。」
「なるほど。やるべきことは同じだけれど、やり切るまでのプロセスを変えてみただけなんだね。」
「だから、元々は違うポジションをやっていた選手でも、新しいポジションを出来るんです、このサッカーならば。」

サポーターの見つけた課題の一つ・・・中盤の選手がサイドに流れ過ぎてしまうことで攻撃に時間がかかりダイナミズムが失われる。しかも、守備に穴が空く。それを、監督は、この布陣で解決してきた。パスは大きく動く。サイドはウイングが仕掛ける。ボールを奪われても、中央の枚数を減らさずに5レーンを活かして、鹿島の攻撃にバランスよく備える。そんなやり方の中で、前半のMOMといえるのは伊藤翔だった。伊藤翔が担ったのはレオシルバ潰し。縦パスを自由に出させない。鹿島は、攻撃のリズムを失い、ミスを連発した。推進力を失った鹿島に、トリコロールは勇猛果敢にデュエルを挑み、鹿島は、それを受け切ることができなかった。

後半に入ると、鹿島はやり方を変えてきた。2枚しかいないトリコロールの中盤の両サイドを突いてくるやり方だ。立ち上がりに押し込まれるが、怯むことも気の緩みもない。なぜならば、ハーフタイムの終わりにゴール裏が披露したトリコロールのコレオグラフィが、スタジアムの空気に緊張感を与えていたからだ。ここで下がることを、このコレオグラフィによる誓いが許さなかった。そして、鹿島のサイド攻撃に惑わされることもなかった。天野、中町、そして伊藤翔はサイドに引き出されることなく、中央を固め続けた。記録を見れば、鹿島のシュートは17本。枠内シュートは11本もある。しかし、本当に危うかったシュートは1本だけ。中央でのデュエルで鹿島は消耗し、闘うことを諦めてサイドに逃げた。どれだけ、鹿島が安全な場所からイージーなシュートを放ったかが、記録に現れている。もう一度言うが、鹿島は逃げたのだ。卑劣な反則で小さな抵抗をし続けた。
「カードを出せ!」
「汚ねぇそ鹿島!25年間!!」
「それ、言いたいだけでしょ!」

サポーターとピッチ上、そして監督の意図は一体化している。仲川がボールを持ったときの完成は凄まじい。ゴール裏のチャントと四方八方からの声援が二重奏となってピッチに降り注ぐ。信頼の絆はクラブを前進させる原動力に。トリコロールは、まだ下位にいる。それでも、私たちが前を向き続けている。

Jリーグが始まって25年。サッカーは変わる。トリコロールが鹿島をデュエルで追い込み、鹿島が逃げるなどという日が来ることを、私たちは、数年前には想像できなかった。でも、現実は目の前にある。私たちは新しいトリコロールのスタイルを掴み取る。その確信は現実の向こうに見えてきた。

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<様々な目線から捉えた試合>