マリノス三大影響を与えた助っ人

Pocket

まず、皆様に申し上げたいことは、トリコロールの歴史の転換期には、必ず偉大な助っ人がいたということです。助っ人の存在をなくして、私たちの進歩はあり得なかったのです。

 

1 世界レベルのストライカーの技術を伝授 ディアス

79年に日本で開催されたワールドユースで世界デビューの後に、スペイン大会、インテルなどで活躍しJリーグ開幕に合わせて来日。足の速さ、ヘディングの高さがあるわけではなくともゴールを奪い取る技術というものが存在することを知らしめた。特に「膝から下の振りの速さ」を日本人に意識させた功績は大きい。また、ピッチ外でのプロフェッショナルな立ち振る舞いも選手に大きな影響を与えた。Jリーグ初代得点王。

 

2 絶対に勝つのだという強いメンタルを導入 柳想鉄

岡田監督時代に欠かせなかった最後のピース。1998年のダイナスティカップで城の歯をへし折り、その後まさかのチームメイトに。トップから最終ラインまでオールマイティな選手として活躍。一時は移籍するが2003年に柏から復帰し苦しい選手構成を穴埋めするために右サイドバックで出場。優勝に貢献した。韓国代表主将でありながら不得意なポジションでも献身的にプレーした。常に全力を出し切り、その闘志は、長く語り継がれている。

 

3 マリーシアと守備の哲学の開祖 オスカー

当時、1-0でリードしていても真正直に突貫攻撃を繰り返していた日本サッカーに「マリーシアが足りない」という名言を残したワールドカップ3大会出場の元ブラジル代表主将。日産は華麗な攻撃を売り物に天皇杯では無敵の強さは誇ったがリーグ優勝が一度もなかった。オスカーは2シーズン目にリーグ初優勝をもたらし、同時にJSLカップ、天皇杯も制覇して一気に三冠を獲得した。日産はオスカーの加入で守備が飛躍的に強化された。オスカーは同年に引退し翌年は監督に就任。当時の日本では存在が知られていなかったフィジカルコーチを導入した。ここでも鉄壁守備が無敵の戦績を残し、2年連続で三冠を獲得した。この2年間で「華麗な攻撃サッカー」は「堅守」に衣替えを行ない、現在に至っている。また、サンパウロの若手選手ロペスを日産に紹介し招聘。後にロペスは帰化して呂比須ワグナーとして日本代表入り。日本代表のワールドカップ初出場に貢献した。