マリノス三大アウエーの洗礼 海外編

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まず、みなさまに申し上げたいのは「アウエーの洗礼」がある海外は鹿島国だけではないということです。各国ならではのアクシデントが闘いを困難なものにしていきます。特に過酷な環境だった1990年代から3つをピックアップします。

 

1 初のアジア制覇へ行く手を阻むセスナ乗り換え

1992年1月21日 アジア・カップウイナーズ・カップ準決勝2ndレグ vs ププク・カルティム(ボンタン)

最後の日本リーグも終盤戦に差し掛かる1月の試合。元日に宿敵読売を下して天皇杯制覇を達成するが、この月は6試合。このインドネシアの試合の9日後にはサウジアラビアで決勝戦を闘う。これがプロリーグ立ち上げ以前のアマチュアリーグでの過酷なスケジュールだった。なお1991年10月は8試合を行なっている。この試合は0−0で引き分け。1stレグをホームで2-0と完勝していたために決勝戦進出を決めることが出来た。試合会場のボンタンはインドネシア・カリマンタン島の東カリマンタン州にある都市。インドネシア国内線の航空機は6人乗りのセスナだった。

 

2 行ってみたら大雪だったペルシャ遠征

1993年1月 アジア・カップウイナーズ・カップ決勝1stレグ vs ピルズィ(アザディ)

アジア連覇に王手をかけて決勝戦に臨んだ。試合会場は灼熱のイメージがあるイランだが大雪。試合開催が出来ず中止となった。雪の中で立ち往生するバスに、サポーターから無数の雪が投げつけられた。

 

3 観客の怒りが収まるまでは帰れない

1993年4月16日 アジア・カップウイナーズ・カップ決勝1stレグ vs ピルズィ(アザディ)

雪で中止になった試合は4月開催に。先に1月17日に国立競技場で開催されたホームゲームには6,000人の在日イラン人が詰めかけた。試合は劣勢だったが奇跡的に同点に追いついて1-1の引き分け。勝たなければならないアウエーで、これも奇跡的に神野がダイビングヘッドをゴールに叩き込み、ワンチャンスをものにして優勝を決めた。2連覇達成の試合終了ホイッスルが鳴り響いた瞬間に12万人の怒りが爆発。爆竹、爆弾がピッチに投げ込まれた。選手は、爆竹・爆弾が届かないセンターサークルに集まり、観客が退出するのを待った。