ゴロシートの相棒 アコスタ

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第8話 間違えられた男

連覇を狙う1996年シーズンに凄い男がやって来た。1994年シーズンのチリリーグ最優秀選手。年間33得点を記録したアコスタだ。相棒のゴロシートも獲得し、連覇に向けて万全と思われた。しかし、アコスタは、たった1年間のプレーで帰国した。10得点を記録したものの、あまりに寂しい期待外れの結果となった。

アコスタが不運だったのは、1994年シーズンと1995年シーズンにプレーしたメディナ・ベージョと顔がそっくりであったことだ。1995年シーズンにリーグ優勝を経験した早野宏史監督は、1996年シーズンのアコスタにメディナ・ベージョと同じようなプレーを求めた。顔はそっくりであったが、得意なプレーは違った。アコスタはディフェンスラインの裏に抜け出すプレーから得点した。だが、早野宏史監督は、中央でじっくりボールを待つプレーをアコスタに要求し続けたのだ。

期待が大きかっただけにサポーターの失望は大きかった。そして、監督の采配がプレースタイルとマッチしていないことを指摘するほどサポーターは成熟していなかった。1996年シーズンは戦績が悪く、しかも、ドーハ後遺症でゴール裏が荒れた「サポーター暗黒時代」。いつしか、アコスタは一部サポーターから「あほスカ」と呼ばれるようになった。

本来の実力を発揮すれば得点を量産できるストライカーだった。翌年に古巣でチリリーグの名門・ウニベルシダデカトリカ(チリ・カトリック大学を母体としたプロクラブ)に復帰すると12得点。さらには、ポルトガルの古豪・スポルディング・リスボンに渡り年間22得点を記録したシーズンもある。

どちらかというと早野宏史監督がすっとこどっこいであった。

そういう私も「あほスカ」と呼んでいて
「あれは悪いことをした」と
深く反省している。
石井和裕(談)