第17話 格言生まれる

現役ブラジル代表主将のJリーグ入りはドゥンガに続いて2人目に。元ブラジル代表主将も加えれば日産自動車で活躍したオスカーから数えて3人目のブラジル代表主将経験者となるはずだった。しかし、待てど暮らせどカフーは来なかった。そこで、格言「カフーは寝て待て」が生まれた。

カフーはワールドカップ日韓大会で主将を務めた世界一の右サイドバック。ASローマでは中田英寿と共にセリエAの優勝メンバーにもなった。2003年1月23日、横浜F・マリノスは新体制発表会で、カフーとの、2年半で400万ドル(約4億8千万円)との仮契約を発表した。世界一の舞台である横浜にカフーがやってくることが世界で報じられ、背番号はブラジル代表と同じ2が用意されていることもニュースになった。合流予定はセリエAのシーズンが終わる7月予定。横浜F・マリノスはカフーの合流を待った。しかし、カフーは現れなかった。6月6日に行われた記者会見で左伴社長は契約解除を発表。「迷惑料」を含む違約金7,000万円(推定)が指定の口座に振り込まれた。

あれから14年を経て、2017年にイベント出演のために来日したカフーは、日産自動車のショールーム「NISSAN CROSSING(ニッサンクロッシング)」で移籍の真相をぬけぬけと語った
「私自身が横浜ではなく、ミランに行くことを決断した。ACミランの方から、当時32歳である私にオファーがあって、金銭面でいえば、横浜のものよりミランの方が低かった。しかし、32歳である私に賭けてくれたミランに対して、私は移籍を決断しました。結果的には、その後5年間、ミランでプレーして、あらゆるタイトルを獲得することができた。私にとって良い移籍だったと思います」

ワールドクラスのスーパーすっとこどっこいだった・・・というのがサポーターの記憶だ。しかし、ここで時計の針を2003年2月にまで戻してみよう。

2003年2月12日の週刊サッカーマガジンには「カフー移籍の裏側」という記事が掲載された。記事は、以下のような文章で結ばれている。

いずれにしても、「今回の一件は、カフーの考えを変えさせるかもしれない“過ち”だ」というアントネッリ氏の意見に、複数のイタリアのメディアが同意している。彼らの興味は“この騒動が原因で、カフーの日本行きが消滅するのではないか”に変わりつつある。

どういうことだろう。

“過ち”の根拠として記事では2点を挙げ「横浜は流儀を欠いている」としている。
1 イタリアでは契約が切れる選手が新しいクラブと契約する場合、移籍市場が閉じる1月31日を過ぎるまでサインをしてはならない、という取り決めがある。
2 6ヶ月後に退団すること、しかも巨額の新しい契約を結んでいることが公になったら、選手と、クラブやサポーターとの関係がどうなるか。道徳的に考えてみれば分かる。

そして、カフーは来なかった。契約解除の記事は6月24日に小さく掲載された。

果たして、本当のスーパーすっとこどっこいは、カフーだったのか横浜F・マリノスだったのか、真相は分からないまま。ただ、一つだけ言えることは、カフー騒動の後、欧州、中南米、アフリカ、オセアニア各国の代表クラスの選手獲得はCFGの力を借りるまで一つも実現しなかったということだけだ。

2001年にローマをホームタウンとする
ラツィオの試合を観戦しに行った。
マッチデープログラムの似顔絵コーナーに
カフーの似顔絵が掲載されていた。
「CAFE CAFU」と書いてあった。
石井和裕(談)