2013年 Jリーグ2階の目線 横浜0-1大宮(NACK5)

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パワープレーの「パワー」は、どれくらいのパワーなのだろう。真後ろから放り込まれるロングボールに高い確率で競り勝てる選手は、世界中を見渡しても、ほとんど見当たらない。百歩譲って、パワープレーを選択するのであれば、クロスの起点はサイドからであるべきなのは鉄則。中村大先生をサイドに張らせてクロスを入れる必要がある、と誰もが思うはずだ。そして、不安定な精神状態でカードをもらいアキレス腱となっていた栗原こそを前線に上げてファビオは最終ラインに入れるべきだったのではないか。

そんな、いつものように事が何も起きない3分間を浪費して、試合終了のホイッスルを聞く。座り込む。言葉を失う。

「この大宮に勝てないのかよ。」

「今日、勝てなかったら、いつ勝つんだよ。」

「ここには何かある。」

さて、このスタジアムは特別だろうか。確かに、元々、氷川神社の境内であった広い敷地の大宮公園の一角にあるスタジアムだ。特別な、神に守られた立地にある。では、構造は?気候は?・・・なにも特別な事はない。何か特別な事があるとしたら、それは選手たちの心の中にあるのだろう。

『守備の乱れは心の乱れだ』

 

出足は好調だった。ボールを回しチャンスを作る。中町のヘディングシュートはクロスバーへ。タマ際の強さも発揮。五分五分のボールにスライディング。倒れても立ち上がる。これが首位の力だ!と苛立つ大宮のサポーターたちに見せつける。しかし、連戦の疲労からだろうか、30分を過ぎると動きがおかしくなる。

「またオフサイド崩れか!」

「小手先のパスをやめろよ!」

身体が重くなったのか雑なプレーが目立つ。

「自分たちで、完全に流れを変えちゃっているじゃないか。」

「ペースを握られたぞ。」

そんな中での前半終了間際の失点。今のトリコロールは、相手の力が上回って負ける事は、ほとんど考えられない。失点をする場合の多くは、自らの側に問題がある。その典型的な失点だった。逆に言えば、しっかりと自分たちのサッカーをやり続け、相手の急所を突き、持ち味を打ち消してプレーをすれば、勝ち続けるポテンシャルを余力十分に持ったチームなのだ。それを強く感じながらハーフタイムを迎える。

 

前節までとは大きくやり方を変えた大宮。「原点回帰」なのだという。前からのプレッシャーを放棄し、守備を固めてカウンターを狙う。贅沢を言わない守備戦術だ。立ち上がりは、中村大先生に、しっかりとマンマークをしていたが、途中からはマンマークはややルーズにして中盤の3人が受け渡しを行なう。ただし、常に距離は近い。中村大先生は前を向いてプレーすることができない。学に対しても同様。本来はストロングポイントであるはずの左サイドの活性化がない。学は厳しいマークに嫌気がさしたのか、鹿島戦と同様のプレーになっていく。まるでクライフの有名な写真のように、指差ししてパスを出す先の指示をしている。

「行け!勝負しろ!」

「そこでダッシュだ!」

「縦に行け!」

行かない。パスの出し先を探して、中村大先生の負担は重くなる。それでも驚きのパスを繋いでくる中村大先生。とはいえ、いつもとは違う展開に、中町と小椋のポジションは、おっかなびっくりになる。前に行きたくても前に行けない。なかなか持ち味を発揮できない。そして、富澤のように、一発で展開を変える左右のパスを得意としているわけではないので、どうしても攻撃は中村大先生に一度はボールを預けてから、という組み立てに。

「また大先生かよ。」

この試合ほど富澤不在の痛手を実感した試合は、過去にはない。

 

この試合の主審は佐藤さん。特徴は前半我慢。細かく注意を与えながら試合をコントロールしようとする。これに選手が応えれば、試合は丸く収まる。しかし、気合い十分の大宮は序盤からファールを連発。スタンドのぴりぴりしたムードも相まって、激しさは一向に収まらない。佐藤さんのもう一つの特徴は堤防決壊。注意の甲斐なく、選手たちが自重しないとなると後半はカード乱発となる。そこで言えることは「この試合はチャンスだったはず」なのだ。荒れる大宮選手たちにドリブルを仕掛け、背負ってキープし、ファールを受け続ければ、もっと一方的に大宮側にカードが出ても良い試合だった。それを意図していたのはマルキーニョス。苦しい時間に、身体を無理矢理入れて後ろから蹴らせてカードをもらったプレー。相手を警告の呪縛に縛らせると同時に悪い流れを断ち切るマリーシア。まさに大人のプレーだった。だが、他の選手は身体がついていかなかったのかもしれない。アグレッシブなプレーを続け、希望の生命線だった小林が、判定に異議を申し立てて警告をもらったのは、その象徴。さらに、終盤になると競り合いで倒れて置き去りにされる選手が続出。決死の覚悟の大宮に、生半可な覚悟で、我慢せずに倒れていては、同点までの道のりは遠い。

そんな中で、強く印象に残ったのは端戸。なんども見せ場を作る。

「うわぁ!」

「すげ!」

「凄すぎて誰もわからなかった。」

とんでもないタイミングで驚きのクロスを入れてくる。積極的にボールを前に運ぶ。もっと長い時間の出場だと思い込んでいた。記録を見てみれば、ピッチに入ったのは、樋口さんお約束の85分。たったの5分程しかプレーをしていない。それでいて、これだけ記憶に残っているのだから、それだけ質の高いプレーをしたのかの証明だ。柏戦では起用しても良いのではないだろうか。

不運なのは藤田。どうしても持ち味を発揮できない。去年のゴールシーンを見直せば理由は明快だ。得意のプレーのお膳立てがないのだから、得意のシュートを放つ機会がない。サイドで一度はボールに触れて、さらに外の選手に預けて、自分は中に入ってクロスを待ち受けてボレーで決める。それが藤田の得意のパターンだ。そんなプレーをする機会を、ここまで3月からの6ヶ月間で与えられてきただろう。答えは、ほぼ皆無だ。不憫すぎる。

 

氷川神社の参道には街路灯がなく、足下は暗い。重苦しいムードの敗戦に会話は弾まない。

「いつになったら、この道を笑いながら帰れるのかな。」

「エルゴラに書いてあることと違うじゃないかー。」

「だから、守備の乱れは心の乱れなんだって。うちは、どこにでも勝てるし、どこにでも負ける。全ては自分たち次第だよ。」

「やっぱり、大宮のこと、どこかで舐めているんじゃないか。だからいつもやれるんじゃないの?」

「う〜ん、舐めているのとは、ちょっと違うと思いますけどね。」

 

「何がいけないのか、選手同士で少し話した。残り時間、放り込むという戦術が良いのかというところもある」「ファビオが入るならもうちょっと脇に藤くん(藤田)がいる状況とかでないと」(中村大先生)。 監督に出来る事には限界がある。優勝への道は選手たちが切り開くしかない。前へ進むか、その場にとどまるかは、選手たちの気持ち次第。そして、私たちが望んでいる選択肢は一つだけ。だから、声を張り上げ手を打ち鳴らし続けるのだ。氷川神社の参道を帰る足取りは重かった。だが、この神社は通過点だ。シーズン終了後、小躍りしながら道路を闊歩し、仲間たちと王者の歌を歌う姿を夢見る。いや、夢ではない、道は続いている。この暗く長い氷川神社の参道からも、栄光への道のりは続いているのだ。