マリノス三大井原正巳の凄さ
まず、みなさまに申し上げたいのは井原正巳は90年代中盤トリコロール最高のレジェンドであるということです。指導者となってからはクラブを離れたとはいえ、トリコロール栄光の歴史を背負った貢献者なのです。
1 日本人として初めて「リベロ」の称号を得たアジアの壁
過去、日本人のセンターバックといえば専守防衛の強い壁。ポジションは「スイーパー」と呼ばれてきた。先代「アジアの壁」加藤久は、その代表格。しかし、井原正巳はロングフィードやオーバーラップで攻撃のアクセントにもなった初のセンターバック。イタリアで定義された攻撃にも参加するセンターバックである「リベロ」の称号を日本人として初めて得ることになった。当時、三ツ沢のゴール裏中央に掲出された横断幕は「鉄壁リベロ井原正巳」。マリノスの代表的なプレーヤーとして1993年5月15日のJリーグ開幕戦のチケットには井原正巳の勇姿が印刷された。
2 ゴールが記録にも記憶に残るのは名選手の証
1995年Jリーグ初制覇となったチャンピオンシップでは決勝点となるヘディングシュートを決めた。日本代表ではアンブロカップ インターナショナルチャレンジ’95でヘディングシュートを決めウェンブリーで初めてゴールを決めた日本人となった。また1993年にはJリーグ初のオウンゴールをマークしている。これは21世紀となっても「Jで最も美しいオウンゴール」として語り継がれている。「美しいオーウンゴールをマークしてこそトリコロールのセンターバックとして認められる」という伝統をも生み出した。
3 プレーは汚いがきれいな顔で審判を惑わす
肘撃ち、バックチャージ、シミュレーションでPKゲットなど、かなり汚いプレーが多かったのは事実。しかし、きれいな顔と好青年キャラにより、本来であれば出されるはずのカードが出ないどころかホイッスルが鳴らないことも多かった。日産時代にコンビを組んだ柱谷哲二とは対照的なプレーヤーだった。フランスワールドカップ予選ウズベキスタン戦でのPKは「脚がかかってはいなかった」と後に告白している。