Jリーグ2階の目線2019 横浜F・マリノス0-1清水エスパルス

Pocket

「人間は考える葦である」パスカル。夏に足が止まったわけではないトリコロール。

馬鹿馬鹿しいくらいの完敗。手の施しようがない状況を放置した大津のワントップ起用。動くべきところで数メートルの動きを怠り、動かないべきところで動く無駄っぷり。清水が5バックにしても、さらにそのライン際にパスを付ける思考停止(5人いるのだから清水の選手の間のスペースは広がらないよ)。全く打開の糸口が見つからないままに90分間を浪費した。勇気のないプレー選択を繰り返し少ないシュート。その割には終盤には「俺が一人で打開してやるぜ」という意気込みの空回りは伝わってくる。お手頃クロスもたくさん見た。

と、まあ、酷い試合だった。夏の暑さも芝のコンディションも、選手の批判を回避するためには都合の良い理由になるが、全ては「自分でしっかりと考えずにプレーしたから」が原因だろう。なんとなく試合は進み、日本平で受けたカウンターだけは喰らいたくないという気持ちは、スタンドによく伝わった。

「おうちに帰るまでが遠足です」みたいなもので、演劇では自分のセリフを終えても観客の視界から、完全に消えるまでが舞台だ。一度、歌舞伎で、2階席から見たとき、大道具の向こう側で1階席からは絶対に見えない場所でも、役者が演技をしているのが、ほんの少しだけ目に入った。ほとんどの人は、その姿を見ることはない。でも、それが彼らの流儀だ。

ところが、不思議なことに、サッカーの場合は、完敗の試合終了のホイッスルが鳴ると不貞腐れたり、下を向きっぱなしだったりする選手がほとんどだ。でも、本当は、スタンドの観客の視界から、完全に消えるまでが舞台だ。なぜか、多くの選手が観客の前で、情けないプライベートな姿を披露している。しかし、どこまでが舞台なのかを意識しているであろう選手がトリコロールには存在する。喜田拓也だ。

バックスタンドでは試合終了後に、ブーイングが飛んだ。私たちの席よりも、更に後ろから、鋭い声が振り下ろされた。組織的ではなく、それぞれが、このだらしない試合への不満を示した(汚いヤジは聞こえなかった)。その声の場所を確認するかのように視点を向け続ける姿がピッチ上にあった。下を向くのではなく、自分たちのパフォーマンスをスタンドがどのように感じたのをしっかりと見る姿に頼もしさを感じた。

この気温でも、選手は動けなかったわけではない。でも、スタンドには不満の残る試合になった。それを喜田拓也は、どのように整理し、ドレッシングルームに戻ってからチームメイトに伝えたのだろう。

次は鹿島とのサバイバル戦だ。

来週は鹿島で会おう。
<試合後のコメントはこちらをご覧ください。>

<様々な目線から捉えた試合>