トリコロールサポーター1,500人が決めた横浜F・マリノスの偉大な助っ人11

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横浜に多くの助っ人外国籍選手がやってきた。それぞれが、輝かしい経歴を提げてやってきた。優勝に貢献した選手、残留の救世主となった選手、個人タイトルを獲得した選手、記憶に残る選手・・・偉大な11人を紹介しよう。この11人は2020年3月17日〜18日にインターネット投票(1502人回答)による得票率で選出された。

11位 オスカー José Oscar Bernardi

1987年加入。元ブラジル代表主将。
ワールドカップ:1978年アルゼンチン大会、1982年スペイン大会、1986年メキシコ大会

横浜F・マリノスが長く「堅守」で語られたのは、オスカーの影響力から。華麗な攻撃サッカーでカップ戦タイトルを獲得するも、とりこぼしや宿敵・読売クラブ(現東京ヴェルディ)からの連敗でリーグタイトルを獲ることができなかった日産自動車はオスカーの加入で大変身した。堅守が加わりリーグタイトル獲得どころか、無敵の2年連続三冠獲得を達成した。本物のセンターバックの守備に加えて「マリーシア」という概念を日本に初めて持ち込んだ選手でもある。

10位 サリナス Julio Salinas Fernández

1997年加入。元スペイン代表。ワールドカップ3大会連続得点。FCバルセロナで60得点。
ワールドカップ:1986年メキシコ大会、1990年イタリア大会、1994年アメリカ大会

8試合連続得点のJ1記録を保持している。188㎝の長身ながらヘディングシュートは得意ではなく、主に点で合わせるシュートや深い懐を生かしたドリブルやターンからのシュートで沸かせた。1試合4得点を2回記録している。城彰二はサリナスの相棒として輝いた。

9位 安貞桓 Ahn Jung-Hwan 안정환

2004年加入。韓国代表。
ワールドカップ:2002年日韓大会

長髪をなびかせてピッチを疾走するテリウス(アニメ『キャンディ・キャンディ』の登場人物)。ワールドカップ2002年日韓大会で国際的な大スターとなった韓国のイケメンストライカーは清水から加入した。左45度からのファーサイドに巻き込むシュートが得意中の得意。2004年、ステージ優勝のかかる1stステージ終盤で4試合連続得点。優勝を決める鹿島戦でも、得意のコースから得点した。ACLでは対戦チームの選手がピッチ脇で安貞桓に記念撮影を求めた。

8位 ウーゴ・ヴィエイラ Hugo Vieira 

2017年加入。
セルビアリーグ年間最優秀選手賞

CFG参画により大きく陣容を変えた横浜F・マリノスに加入し、アーティスティックに得点を重ねたストライカー。冷静にゴールの1点を狙って合わせるシュートが得意。特に、記憶に残るゴールとしては2017年の天皇杯4回戦サンフレッチェ広島戦。コーナー付近からクロスと見せかけてカーブをかけたシュートをゴールに撃ち込んだ。

7位 マルキーニョス MARQUINHOS

2003年、2012年加入。
Jリーグ外国籍選手最多得点記録保持者

スピードが特徴の選手として久保の相棒に。2003年のリーグ優勝に貢献する。その後、プレースタイルを変化させながら市原、清水、鹿島等で活躍し、コンスタントに年間二桁得点できる選手となる。2012年に横浜F・マリノスに復帰。パワフルなプレーで得点力不足に喘いでいたチームを浮上させる。2013年は序盤から得点を重ね、久々にリーグ優勝争いへ食い込む原動力となる。

6位 ビスコンティ David BISCONTI

1993年加入。
元アルゼンチン代表、アルゼンチンリーグ得点王

若くして「マラドーナの背負った背番号10」をアルゼンチン代表で付けた期待の若手選手として来日。大先輩にあたるディアスとのコンビで技術を磨き、得点を量産する怖さあふれるMFに成長した。1995年に27得点。初のリーグ制覇にエースとして貢献した。

5位 マルコス ・ジュニオール Marcos Júnior Lima dos Santos

2019年加入。
J1リーグ得点王

加入していきなりの得点王。15年ぶりのリーグ優勝に貢献した。ドラゴンボールパフォーマンスで得点後のスタンドを沸かせ話題に。人懐っこい性格でファンに愛されると共に、ピッチ上ではアツい気持ちを前面に打ち出し責任感と気迫あふれるプレーを披露した。2020年には主将を務めた。

4位 柳想鐵 Yu Sang Cheol 유상철

1999年、2003年加入。韓国代表主将。
ワールドカップ:1998年フランス大会、2002年日韓大会

GK以外はどこでもできるユーティリティプレイヤー。闘志あふれるプレーがファンを魅了した。2000年はストライカーとしてJ1ステージ優勝に貢献。その後、柏レイソル、蔚山現代に移籍する。ワールドカップ2002年日韓大会で大活躍した後に、2003年に電撃復帰。カフーの加入がキャンセルされ弱点となっていた右サイドバックとしてプレーし、1stステージと2ndステージの完全優勝の原動力となった。

3位 チアゴ・マルチンス Thiago Martins

2018年加入。

アンジェ・ポステコグルー監督のハイラインの攻撃サッカーに欠かせない快速センターバック。チーム内のどの選手よりも速く走り、ディフェンスラインの前後のスペースをカバーする。攻撃の起点としても活躍し、畠中とのコンビはJリーグ最強の攻撃的センターバックと評価された。JリーグMVPを受賞することはなかったが、15年ぶりのリーグ優勝に最も貢献した選手と推すファン、解説者が多い。

2位 ディアス Ramón Ángel Díaz

1993年加入。1979年ワールドユース日本大会得点王。Jリーグ初代得点王。
ワールドカップ:1982年スペイン大会

記念すべきJリーグ開幕戦の決勝点を左足で決めたストライカー。2試合連続のハットトリックを含む32試合28得点で1993年にJリーグ初代得点王に輝いた。プレーのほとんどは卓越したテクニックを持つ左足。1994年も23得点を記録している。強烈なミドルシュートからゆっくりと弧を描くループシュートまで多種多様な得点を決めている。

1位 ドゥトラ Antônio Monteiro Dutra

2001年、2013年加入。

J1残留を決めた試合でFKを決め、J1連覇の最後のPKを決めた選手。2001年1stステージは最下位と勝ち点差1の15位と、低迷のどん底にいた横浜F・マリノス。シーズン途中で元ブラジル代表監督のラザロニを招聘。ラザロニが連れてきたブラジル人トリオ、ブリット、ナザ、ドゥトラが2ndステージ第1節の福岡戦でデビュー。ドゥトラは決勝点Vゴールを決めた(最終節で福岡はJ2降格)。ブラジルトリオの大活躍でJ1残留を果たすのだが、最終節のアウェイ神戸戦でFKを決めたのもドゥトラだった。ブリット、ナザは帰国するもドゥトラは2006年まで長く横浜F・マリノスで活躍。特に2004年のチャンピオンシップではPK戦の最後のキッカーとなり2003年〜2004年のリーグ2連覇にも大きく貢献した。その後、惜しまれながら帰国するが、2012年に松田直樹追悼試合に出場をきっかけに、まさかの復帰。2013年シーズンの天皇杯優勝にも貢献した。2014年に横浜F・マリノスで引退した。