日本のサポーターはなぜ個人コールが多いのか?マリーシア感情的サポ論
江戸時代からの伝統。日本人は贔屓の人物の芸を応援することを好むのだ。
「ドイツのスタジアムではなぜ選手名が書かれた横断幕がないのか」という記事が話題になった。いささかライターが瀬田さんの発言の意図を読み切れていない感もあり、少し気の毒な記事だが、ドイツでは選手個人の横断幕を目にすることは少ないし、試合中に個人チャントを耳にすることも少ない。イタリアの場合はスター選手に限って言えば個人応援のフラッグ、マフラーが存在するし、ユニフォームに好みの選手の名前をプリントしているファンも多い。そうは言っても試合中に個人チャントを耳にするのは稀だ(そう考えると、ペルージャとローマのサポーターが中田のチャント歌合戦を繰り広げた試合は極めて特殊な試合だった)。
では、なぜ日本のサポーターは個人コールが多いのだろうか。それについて言及している人は少ない。一つの理由は江戸時代からの伝統だ。江戸時代からの応援姿勢が今に続いていると考えられる。じつは日本人は、集団で作り上げるエンターテイメントの中でも、好みの人物の芸を応援することを好んできた。特に、その現象が顕著に現れているのは歌舞伎だ。
歌舞伎の人気演目は限られている。仮名手本忠臣蔵、義経千本桜、菅原伝授手習鑑などなど。それでも劇場にファンは何度も足を運ぶ。例えば、2013年11月の歌舞伎座は仮名手本忠臣蔵。そして12月も仮名手本忠臣蔵だ。なぜ2ヶ月連続で同じ演目を上演するのか。それは、同じ大星由良之助(大石内蔵助は歌舞伎では大星由良之助という名前)を異なる役者が、どのように演じるのかを楽しむからだ。ファンは見に行く前からストーリーを知っている。結末は知った上で、役者個人の芸を楽しむ。そして「大向こう」と呼ばれるゴール裏と同じような存在のファンは、贔屓の役者の台詞の切れ間の絶妙の呼吸を狙って「松島屋!」「播磨屋!」などの屋号を叫ぶ。主役に並び立つ役者が見得を切ると、どちらの「大向こう」が多いか、競うように叫ぶ応援だ。
「大向こう」が集まる4階席。
プロ野球の応援が個人コールをベースに発展したのも、この江戸時代からの伝統を受け継いだものだ。つまり、日本人の伝統に合った応援方法が、知らず知らずのうちにJリーグのサポーターにも引き継がれているのだ。ここには、グローバルスタンダードが干渉することは出来ない。そして、日本の応援が欧州と乖離していることは、極々普通のことと言える。
中村勘三郎の通人に「中村屋!」。
有名な「絶景かな、絶景かな」の石川五右衛門。4分30秒からご覧ください。
石井和裕