『新語・流行語』30年のトップ10 「サポーター」はなぜ流行した? マリーシア感情的サポ論

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毎年その年に話題となった言葉を決める『新語・流行語大賞』を発表する現代用語の基礎知識は2013年11月13日に過去30年のトップ10を発表した。「同情するならカネをくれ(1994年)」などに混じって「サポーター(1993年)」がトップ10にランクインしている。では1993年のサポーターブームとは、どれくらい凄かったのだろう。当時の雑誌やCMから、その凄さを紹介しよう。

 

「ギョーカイ人」注目のトレンディ漫画はネタの17%がJリーグ関連。

ビッグコミックスピリッツで掲載している漫画「気まぐれコンセプト」は、ホイチョイ・プロダクションが制作し、広告代理店の主人公が、その時々のトレンドをネタに展開している。Jリーグ開幕の1993年は75編の4コマ漫画が掲載されたが、そのうち13編がJリーグ関連ネタ。前年の1992年には雑誌「SPA」がJリーグ特集。Jリーグ出現の衝撃がタイトルからうかがえる。

IMG_3849 表紙は武田。

 

トレンドを追う女性の話題もJリーグとサポーター。

女性たちの物欲や消費欲を刺激し、体現するトレンド情報を発信し「Hanako族」が流行語にもなったマガジンハウスの雑誌「Hanako」がJリーグ開幕戦を記事化(しかも、なぜかマリーシアにインタビュー)。当時のサポーターは女性雑誌に写真掲載されるくらいオシャレに気を使っていた人が目立っていた。私の周囲の人たちを思い起こせば、広告代理店勤務、デザイナー、作曲家、新聞記者、ディスプレイコーディネーター、スタイリスト、といった、当時の花形職業の人がゴール裏にはたくさんいた。そのようなこともあって女性雑誌が取材しサポーターの写真を掲載することになったのだろう。そして「Hanako」は女性トレンド最先端の雑誌だったため、一般の女性誌よりもさらに先を行く必要があり、その後、JFLのイケメン選手を紹介するコーナーの連載を行なうエスカレートぶりだった。

 

サポーターは革新的で挑戦のイメージ。

サポーターという新しいスポーツ愛好のスタイルが旋風を巻き起こし、既存の概念を打ち壊すイメージを社会に発信。特に「おじさんは企業名のプロ野球、若者は地域名のJリーグ」という革新的なイメージのアイコンにサポーターが起用された。サポーターには「サポーターが日本のスポーツ文化を変える」というビジョンが共有され、皆、大きな夢を抱いていた。そこで、当時はマイナー感の強かったニコスカードがCMにサポーターを起用しニコスカードのイメージを一新することを試みた。撮影会場は、後に黒澤明の葬儀が行なわれることになる黒澤フィルムスタジオだ。

 

サポーターを追いかける「サポーターのサポーターが出現」

トレンド最先端のJリーガーは手の届かぬ花。チケットは完売しプラチナ化。やっとの思いでチケットを入手した女子高生ら女性の中には「サポーターのサポーター」となる人までが現れた。「いつも、選手と近いスタンドの最前列にいる特別な人」 というのが彼女たちのサポーターに対する憧れだった。有名サポーターは試合後に女性たちから記念撮影を頼まれ、順番待ちの列が出来た。開門待ちの列の中で、サポーターにからサインをもらおうとする女性も出現。ウルトラスの植田朝日氏には、いわゆる追っかけが数名おり、試合会場だけではなく、TV局にまで女性たちが追いかけてきた。多くのサポーターは、この現象に戸惑いながらも、Jリーグ振興と新しいスポーツ文化形成のためのミッションと考え、女性たちの求めを拒絶をしなかった。雑誌も、この現象を敏感に捉えており、各クラブのサポータークラブを特集した。

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キーワードは 「ビジョン+ファッショナブル & フレンドリー」。

お読みいただいてお気づきだろうか。当時、サポーターの魅力を膨らませたのは「ビジョン」を掲げ「ファッショナブル」で、新しい仲間の輪を広げていこうという「フレンドリー」な姿勢があった。21世紀のサポーターは、当時と比較してどうだろう。当然時代と環境が異なるので優越をつける類いのものではない。しかし、今後のサポーター活動の参考となることもあるのではないだろうか。特に意識すべきなのは「ビジョン+ファッショナブル & フレンドリー」だ。