横浜2-1長野 第93回天皇杯2階の目線(日産)
延長戦前半、待ちに待ったゴールが生まれる。その瞬間、バックスタンドは一斉に立ち上がり、天井の2階に届く勢いで拳を突き上げる。3部リーグとの対戦の4回戦だ。ゴールが生まれてもクールに振舞うこともできるはず。だが、そんな装いを出来ないほど、私たちは追い込まれていた。
JFLチャンピオンを率いるのは美濃部監督。トリコロールが決勝戦に進出した多くの試合で、唯一、天皇杯を獲得できなかった松下戦の対戦相手として名を連ねていた人物だ。とにかく走る。特にサイドの選手がボールをフリーで受けるとフォローの選手が並走する。その更に外側に中央から回り込んだ選手が走り込んでくる。ここまで徹底したサイドに人数をかけた走るサッカーを指揮する人物は、過去、全盛期の日テレベレーザを築き上げた松田監督(後に鳥取、現狭山)くらいしか思いつかない。
「サッカーというよりも、あれはフットボールだ。」
衝撃を受ける。ただ、衝撃を受けたとはいえ、トリコロールが自力では圧倒的に勝ることは間違えない。
しかしながら、その差を明確に示すことができたのは、序盤と延長前半だけだった。特に序盤はアンドリューが攻守に積極的。更には幸運なゴールが生まれて空気が緩んでしまったのかもしれない。リードしたのはわずかに7分間。失点して浮き足立つ。アンドリューは別人のようなプレーに。前半の残されたわずかな時間に華麗なヒールパスのオンパレード。簡単にボールを奪われてピンチを招く。
無言で下を向くハーフタイム。BGMもなければアトラクションもない。冴えない表情と寒い空気感が、まさに天皇杯の4回戦であり、苦手の下部リーグクラブとの対戦であることを、改めて実感する。
「これは中村大先生をいつ入れるか、大先生待ちなんじゃないか?」
「いや、リードするまでは中村大先生を投入するなんてとんでもない愚策だよ。延長戦があるカップ戦なんだから、投入するのはリードしてからか80分からじゃないと。」
意見が別れる。ただ、先発出場ではないということは、限られた時間でしか起用したくないということの表れであることは疑いがない。
60分に中村大先生を投入。スタンドがドッと沸く。
「さぁ、こうなったら、何がなんでも90分間で勝たないとダメだぞ。」
明らかにサッカーが変わる。ボールの預け先が明確になる。前からの守備が機能する。ディフェンスラインの裏を狙う動きがボール保持者と噛み合う。そして、目立っていた浮き玉のパスとヒールパスが目立たなくなる。一方の長野はずっと変わらない。鍛えられている。
「まずいぞ、なんとか90分で終わらせないと。」
「頑張れ!」
「頼む!」
コールに手拍子に、一層の力が入る。選手たちも焦りのせいかシュートが枠に飛ばない。そして、兵藤の脚が攣る。
「あーこれで交代枠を全て使ってしまうぞ。」
ほどなく90分間の終わりを告げるホイッスル。落胆の溜息。頭を抱えて涙をこぼす。これでは中村大先生を先発ではなく60分に投入した意味がないではないか。もう、中村大先生を交代で下げることはできない。土曜日に向けて残るダメージは予定外。そして勝たなければならない。延長戦での中村大先生の怪我と、小林の2枚目のカードだけは厳禁。焦らず、適格にゴールマウスを狙うシュートが必要だ。
そして、攻撃陣は延長戦に入って前半で勝負をかけ藤田がゴールを奪う。
「うーん、残り時間が20分以上もあるのか。これは長い。」
スリルとサスペンスの連続。完全に崩されてシュートを撃たれる。自信満々に手を上げてセルフジャッジをしてGKとの一対一を作られる。どうしても勝ちたいというストレートな感情が長野から伝わってくる。長野がJFLを圧倒的な力で優勝したことがうなづける。このスピリットは私たちの心すら動かす。トリコロールはボールを動かす。得意のパスを回した攻める振り。スタンドも、この時間の使い方の魅力を熟知している。ちょっとしたフェイントや、前にいくと見せかけて後ろに下がるドリブルに歓声と拍手が起きる。
私たちがスタンドで、春からピッチ上と共に熟成していったこのサッカーを体験できるのは、もう11月の10日間と12月の31日間。そして元日の1試合しかない。この幸せな時間の一員であることを止めたくない。どうか勝ち進んでくれ。2つの栄冠を掲げたい。試合終了のホイッスル。歓声は控え目。回るトリパラの数も少ない。時計の針は22時に近づいている。
「勝った。」
「良かった。」
「国立で勝つぞ!」
「優勝しよう!」
「土曜日も勝つぞ!」
心の中に置いてあった単語を一人一人が取り出すようにピッチに向かって叫ぶ。今日のスタンドに、過去の優勝を生で経験したサポーターは何割くらい残っているのだろう?思ったよりも多いかもしれないし少ないかもしれない。2014年元日に青山で祝勝会を行う未来が約束されているとしたら、この試合の詳細を記憶にとどめておきたい。祝勝会を盛上げる良き思い出となるシーンがたくさんあったはずだ。