マリノス三大エア移籍騒動

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まず、皆様に申し上げたいことは、移籍は水物。選手がやってくるまで何が起きてもおかしくないということです。中には来日してから数日後に帰国になってしまった例も。それが移籍なのです。

 

1 1+8は世界の代名詞。ヘリコプターが・・・来ない サモラーノ

チリ代表のエースストライカーとしても活躍。レアル・マドリードに所属した4年間でリーグ戦137試合に出場し、77得点。得点王も獲得。空中戦に強く「ヘリコプター」の異名をとった。セリエAインテルでは怪物ロナウドが背番号9を背負ったため背番号を18。そして1と8の間に「+」を入れた。合計9。それほどエースストライカーとしてのプライドの高い選手だった。2000年にマリノス獲得情報が流れ、雑誌インタビューで「俺はマリノスへ行くぜ」と発言。サポーターの期待が高まったが、いつの間にか移籍は立ち消えた。

 

2 ウルグアイサッカー史上最高の選手が・・・来ない フランチェスコリ

南米最優秀選手2回受賞。ニックネームは「殿下」。当時、マリノスに所属していたアルゼンチン人のビスコンティが憧れの選手として名を挙げていたくらいエレガントな一流選手。1993年シーズン途中で加入が濃厚と報じられ、サポーターはチャントまで用意して待ちこがれたが、その年のセリエAカリアリで活躍し事態が急転。トリノへ移籍した。

 

3 背番号を空けておいたのに・・・来ない カフー

2002年日韓W杯を頭上に掲げたブラジル代表の主将を獲得内定、仮契約を済ませ、2003年に岡田マリノスに加入へ加入するはずだった。春に開幕したJリーグ選手名鑑の背番号2は(カフー)と表示され、サポーターはセリエAのシーズン終了を夏まで待った。しかし、カフーは来なかった。結局、カフーはマリノスへ違約金を支払いミランへ移籍した。同時期にアジアで流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)の感染を恐れて来日を拒んだ、という報道がされた。これが、俗にいう「カフーを待ちわびて」事件だ。後に「移籍のニュースに一喜一憂しても仕方ない」という意味の「カフーは寝て待て」という諺が生まれた。