マリノス三大衝撃的移籍


まず、皆様に申し上げたいことは、移籍には摩擦が付き物ということ。選手、ファン、サポーター、フロント関係者、誰もが喜ぶ可能性がある反面、誰もが悲しむ可能性もある。それが移籍なのです。

 

1 監督が選手のセレクトをすると知る 松永が鳥栖へ移籍

Jリーグが開幕し3年目。プロリーグを少しずつ理解しはじめた1995年に衝撃的な移籍が起きた。監督が清水からソラリに代わると、若手GKだった川口を抜擢。現役日本代表の松永が構想から外れて鳥栖(PJM)に放出された。日本リーグ時代にはあり得なかった大物の移籍にサッカー界は震撼。当時、観客数がまばらだったJFLでの松永のプレーを危惧したマリノスフロントが、鳥栖と富士通(後の川崎)の試合の招待券をマリノスサポーターに手渡した。

 

2 日本サッカー史に残る移籍騒動 松田が松本に移籍

横浜マリノス一筋で「生涯マリノス」を公言し、クラブに骨をうずめる覚悟だったミスターマリノス・松田直樹に戦力外通告が行なわれたのは2010年のシーズン大詰めのこと。絶大な人気があった松田の移籍報道のサポーターは動揺。2万人以上が参加した松田直樹選手の再契約に関する嘆願書が集められた。しかし、松田は戦力外通告を受け入れクラブを去り、当時JFLだった松本山雅へ移籍した。

 

3 東京Vの社長が退任に 中澤が移籍加入

2002年・日韓W杯を目前に控えた2002年年明け早々に騒動が勃発。契約が延長されると思われていた中澤が東京Vから横浜への移籍を突然希望。当時はJリーグの「移籍金係数ルール」が適用されており、横浜が中澤を規定の移籍金1億7千万円を支払って強奪した。中澤は練習生からの叩き上げで日本代表入りをした東京Vで一番の人気選手。なぜか、ボスマン判決以降の世界の移籍ルールが適用されると思って「中澤が契約切れ日まで交渉を長引かせて移籍金ゼロで移籍しようとした」という発言を繰り返す東京Vの坂田社長と「移籍金を支払う用意がある」横浜の見解と食い違い新聞紙上で大きな騒動となった。その後、坂田社長は退任した。

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