サポーター史ダイジェスト

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みんなで創ったマリノス・サポーターの歴史。私たちは、どのような足跡を残し続けてきたのか。

あとから振り返れば笑えるような出来事も 、その当時は真剣であったり、今では考えられないくらい素直に楽しんでいたりと、人それぞれの捉え方も色々です。 これは、私達の記憶を年表に留めようというものです。

1993年5月 黒澤フィルムスタジオでニコスカードのCM撮影

日本サポーター創世期

1962年 日本サッカー狂会創設

池原氏、東条氏に「サッカー和尚」鈴木氏を加えてスタート。日本サッカー史上初の応援組織が発足した。

1977年 日本サッカー後援会創設

日本サッカーの精神的支柱と普及強化活動の経費の支援をの役割を担う応援組織。法人会員と個人会員を募り現在に至る。

1979年 ニッポン、チャチャチャの定着

日本開催の第2回ワールドユース大会で日本応援の基本コールとして定着する。

日本リーグ/日産自動車時代

1983年 初の天皇杯決勝応援

ヤンマーとの決勝戦(84年元日)に日産自動車応援団が詰めかける。 以後、決勝戦では、男性応援リーダー、チアガールがバックスタンドに陣取るようになる。そのスタイルはマリノスとなるまで続いた。 応援歌はカセットテープでメロディーを再生し、ぼんぼんを持ったチアガールの歌声にあわせて歌う。 試合終了10分前くらいから男性リーダーによって数100本の紙テープが応援席周辺のちびっ子ファンに配布された。なお、1983年の決勝戦ではヤンマー(現C大阪)応援席にはヤン坊マー坊がいた。

1985年 幻の国立満員

天皇杯2度目の決勝進出。反対側ブロックは準決勝でトヨタ(現名古屋)がフジタ(現湘南)に敗退したため国立満員は幻になる。トヨタが決勝の相手の場合は首都圏の日産社員は総動員される予定であった。

1985年 伝説の10.25日韓戦

満員の国立競技場で、日本サッカーを支える会により日の丸小旗が配布された。

10番は木村和司

1989年 国立大乱闘

ワールドカップイタリア大会予選、日本-北朝鮮戦で乱闘。両国サポーターが隔離されていなかったため衝突。機動隊が入って騒ぎを収める。

エースは水沼貴史

1990年~1991年 横山辞めろ運動

成績不振にあえぐ日本代表の監督人事刷新をサポーターが要求。全国で署名活動を展開した。一般新聞でもとりあげられ大問題となった。日本サッカー後援会会員は大量脱退し後援会会費の納金を拒否。

1992年 マリーシア発足

80年代後半からサンバ隊による応援を行っていた読売クラブに対抗するために初の私設応援団としてマリーシアが天皇杯決勝読売戦を機に発足。日本リーグ最後の年に初めて組織的な活動を行った。日産自動車サッカー部のプロ化により日産自動車応援団や日産自動車系列の高専の学生団体応援はスタンドから姿を消す。

1992年/暗中模索の応援スタイル

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●このころから「サポーター」という呼び方が一般的に使われ始める。
●広島アジアカップに全国からサポーター大集結。植田朝日氏を中心にウルトラ・ニッポンがスタート。 当時はバックスタンド中央に陣取った。

Jサポーターが新幹線、飛行機、夜行列車で集結した

マリノスサポーターの出来事

●Jリーグカップ開幕によりプロ興業が開始される。アウエー連敗を経てホーム緒戦の名古屋戦(平塚競技場)で応援コールが「ニッサン」から「マリノス」に代わる。
●アジア カップウィナーズカップで「We Are Marinos」を歌い始める。
●マリーシアコアメンバーが応援コールし他のサポーターがチアホーンを吹くのが基本スタイル。
●オフィシャル「マリノスクラブ」募集開始。
●「カテゴリーワン」で購入したオフィシャルアパレルアイテムを身につけフェイスペイントするのが典型的なサポーター像。1994年上期まで、このスタイルが続いた。

1993年前半/Jリーグ開幕で大ブーム

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●ワールドカップアメリカ大会予選一次予選。UAEへのツアーなど観戦ツアーが一般に認知される。ホームの国立は連戦満員。ウルトラスは、この大会まではバックスタンド。 マリーシアとCRAZY CALLS(浦和)が連合でゴール裏に陣取った。
●週刊SPAが開幕を前に2月に「過熱するブームの実態を探る、Jリーグ族の謎」特集。

●大ブームに乗って連日超満員のスタンド。チケット入手は困難を究めた。
●一般紙誌もJリーグ、サポーターの特集を盛んに組んだ。
●TokyoWalker増刊号「これがJリーグだ!」では サポーターズクラブ紹介特集も実施。

紹介されたサポータークラブ   
バルバドス(読売) ※サポータークラブではなくサンバ隊   
マリーシア(横浜)   
横浜ジェッツ(横浜F) ※オフィシャル   
IN FIGHT(鹿島)   
ハレルヤクラブ(市原)   
レッド・ボンバーズ(浦和)

●有名サポーターに追っかけが出現。試合後には記念撮影の列が出来た。
●オフィシャルサポーターと私設サポーターの対立やサンバ隊と歌声・コールの応援が相反するなど、各クラブとも今のサポータースタイルへの移行が徐々に行われる。

当時のIN FIGHTの応援スタイル

マリノスサポーターの出来事

●アジア・カップウイナーズ・カップ決勝戦で国立競技場で6,000人のピルズィ(イラン)サポーターと遭遇。
●三ッ沢球技場改装こけら落としからゴール裏で応援するスタイルが始まる。
●Jリーグのチケットは発売直後に完売。最後の望みは日産自動車の販売店。
●5.15J開幕は東京体育館前で集結し国立へ入場。全民放が取材する異常事態に警察も出動。
●ホーム開幕戦で、サポーターズクラブ・リベラル発足。サポーターズクラブSEA GULLが本格活動開始。

Jリーグ仕様になった三ツ沢の柿落とし
TBS出演
ホームでありながらイラン人サポーターの方が多かった決勝戦
当時のコアサポだったマリーシア

1993年後半/Jリーグにも迫りつつあったドーハの衝撃

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●日本中が沈黙したドーハの悲劇。
●ウルトラスが最も突出していた頃。ウルトラス系と狂会系が別れて応援していた。
●Jリーグオフィシャルレストラン「J・CLUB」でのテレビ観戦応援が満員に。 ●ネットがない時代なので、電話リダイヤルシステムなどチケット購入のための秘密兵器がブームに。
●騒音問題が顕在化しチアホーン応援禁止へ。
●Jリーグが新語・流行語大賞を受賞。
●ニコスカードCMに各チームのサポーター出演。スタジアム応援風景撮影と黒澤フィルムスタジオ撮影を実施。各チームのサポーターが一堂に会してのCM撮影はこれが最初で最後。

マリノスサポーターの出来事

●横浜白札屋がたまり場になる。
●初の監督解任要求「清水辞めろ」が新聞をにぎわす。成績不振へのブーイングや試合前の応援拒絶などが論争に。
●ゴール裏とバックスタンドの掛け合いコールなど実施。
●サポート路線の論争から各サポータークラブの脱退者も発生。一部は新サポータークラブを旗揚げへ。



1994年/転落の時代

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●植田朝日氏がボンボネーラ開店。
●この頃のサポーターの多くがサッカメディアビジネス、代理人ビジネス、Jリーグクラブ創設等の道を開拓していった。
●紆余曲折の後、ウルトラスは国立では12番ゲート付近に陣取る。
●カズのジェノア移籍によりイタリア観戦ツアーがブームに。応援スタイルのベースはイタリアの模倣が多くなる。
●各地でJリーグ入りを望む自治体で招致運動や下部リーグチームのサポート活動が始まる。
●ワールドカップアメリカ大会会場内で2002年日本招致のゲリラ招致活動実施。
●ドーハ帰りのサポーターが過激化先鋭化しスタジアムが荒れる。楽しい応援よりも激しい応援に主流が傾き闘いが強要されもっとも暗く重苦しいスタジアムの時代となった。
●TokyoWalker増刊号「1994Jリーグブック」でサポーターズクラブ紹介特集を実施。
 紹介されたサポータークラブ
  IN FIGHT(鹿島)
  ハレルヤ(市原)
  CRAZY CALLS(浦和)
  カミーザ・ドーゼ(読売)※オフィシャル
  マリーシア(横浜)
  横浜JETS(横浜F)※オフィシャル
  THETIS 湘南(平塚)
  シャペウ ラランジャ(清水)
  PROGRESSO(磐田)
  サポーターズ アソシエイツ(名古屋)
  GAMBINO(大阪)
  VIOLA(広島)
●サポーター情報専門誌「Jサポーターズマガジン」が創刊。しかし、対立するサポーター問題の調整業務負担が重く、出版社が発行を断念。1号で廃刊となる。

マリノスサポーターの出来事

●サポーター対立が激化。後半戦はゴール裏が分裂応援に突入。クラブフロントと伊勢佐木町による調整が頻繁に行われるが、結局はスポンサーである伊勢佐木町の支持を受けたクラブが主導権を握ることになる。この状態は1995年まで続く。
活動していた主なサポータークラブ
  エレクション
  SEA GULL
  マリーシア
  リベラル
  デュオデッシモ
  キングシャウト
  広島私設応援団
  ナスティーボーイズ

1995年/Jリーグ初優勝と対立の終結

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●代表の国内外の試合会場でワールドカップ招致キャンペーン。
●サポティスタ配布開始。
●FIFAワールドカップ調査団視察試合になる国立競技場の鹿島-C大阪戦に各チームサポーターが集合。招致パフォーマンスを展開。
●CRAZY CALLSのメンバーが焼肉屋で浦和の選手と口論から暴行事件に。選手は4カ月間の出場停止。CRAZY CALLSは求心力を失い解散へ。

マリノスサポーターの出来事

●横浜市教育委員会による横浜闘魂倶楽部発足。
●マリーシア方向転換。最前列からの完全撤退を宣言。ハマスポ創刊。オリジナルマフラー制作。
●サポーターズクラブの解体とフリー宣言がブームに。「海賊」の旗の下に集結し始める。アルゼンチン主義の台頭。
●等々力にサポーター3名が乱入し警察に身柄拘束。以後、シーズン終了まで入場自粛。
●若い女性サポーターと家族連れが減少。
●リーグ優勝。サポーターのボランティア参加で優勝祝賀イベントファン感謝デーを運営。
●木村和司引退試合で、これまで対立していたサポータークラブの共同作業によりスタンドに人文字。

1996年/海賊時代の始まり

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●アトランタ五輪予選でマレーシア・シャーラムへサポーター大量動員
五輪にも多くのサポーターが詰めかける。
●ワールドカップ招致へ署名活動e-mail活動が最後の追い込み。窓口はmalicia webのキャンペーンページ。テレビラジオの報道支援もあって数千のメールがFIFAへ送られる。後にFIFAサイトに感謝メッセージが掲載される。
●アジアスーパーカップで日韓両国が握手する横段幕を平塚サポーターが掲出する。
●鳥栖フューチャーズ存続運動。

マリノスサポーターの出来事

●勝利至上主義のゴール裏中央に対してゴール裏上段や左右は試合内容重視や選手キャラクター重視に自然にすみ分けが始まる。
●川口の活躍、城の加入により若い女性サポーターが再び増加。
●ダービーマッチでコイン投げ事件。大嶽の顔面にコインが当たり試合中断となる。犯人はサポーター内では特定されていたが、 結局、公式には見つからないままに事件は終結した(犯人は当初は自ら認めていたが、後日、否定した) 。
●マリーシアのStop The Violenceキャンペーン始まる。

1997年/フランスへ向け夢の結束

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●ワールドカップ予選に結集。アジア各国へ足を運んだ。
●ソウルで開催された「韓日戦」に約10,000人の大サポーター。
●ジョホールバルは日本サポーターでほぼ満員に。
●ヴェルファーレや新宿歌舞伎町など大画面テレビ観戦が大ブーム。
●ネット掲示板「J-NET」ブームによりサポーターのネット活用が盛んに。
●日本での日韓親善試合と韓国でワールドカップ予選で日韓サポーターの交流が始まる。
●清水エスパルスの存続カンパ・署名運動。

マリノスサポーターの出来事

●オフィシャル・サポーターズ登録が発足。
 ULTRA`KING SHOUT
 Duodecimo
 まりちゃんず
 マリーシア
 井原正巳後援会
 日産FC横浜マリノス広島私設応援団  
などが登録。エレクション、SEA GULLなども後に登録するが「海賊」は最後まで登録することはなかった。
●横浜商工会議所を中心にしたマリノス支援の会が発足。

1998年/ワールドカップ 初体験として合併問題

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●フランスへ数万人が観戦ツアー。チケット問題が発生し、世界的な社会問題となる。
●ダイナスティカップで来日する韓国サポーター「レッドデビルズ」の歓迎パーティーを開催。
●消滅するフリューゲルスサポーターの合併撤回運動。署名やカンパを集め全国規模でムーブメントに。その後、横浜FCが誕生へ。

https://youtu.be/gvQe_KArXG0

マリノスサポーターの出来事

●横浜フリューゲルスとの合併問題で合併撤回運動を海賊を中心とする一部サポーターが展開。具体的目標と成果が不明確なまま大規模活動は収束へ。
●新横浜の1階を立ち上がっての応援2階を座っての観戦応援へと自然にすみ分け。

1999年/マリノスサポーター再び分裂

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●ワールドユース大会準優勝するも伝染病の恐怖もあってだれも応援に行けず。
●経営危機の平塚の試合運営にサポーターボランティア大量参加。
●インファイト団長河津了が鹿嶋市議選挙当選。その後も、インファイトを支援団体とする選挙候補者が現れる。 ※一時「市長」と書いていました。「市議」の誤りです。

マリノスサポーターの出来事

●自称「マリノスサポーター」と自称「Fマリノスサポーター」の対立が発生。
●フリューゲルスを吸収合併しFマリノス誕生にともない自称「マリノスサポーター」派の「海賊」が消滅。
●「マリノスとスポーツ文化を守るサポーターの会」を称するグループ(実質的には「海賊」)の行為をマリノス側が非スポーツ的、かつ非支援活動であると断定し公式の接触を終了。
●「クラブとしての“応援活動”への認識」をクラブフロントが発表。
●運営評議会を設置。

2000年/オセアニア・シドニーへ

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●シドニー五輪で1試合当たり5,000人~10,000人の応援。フランスワールドカップツアー中止のお金を回して観戦する人多数。
●シドニー五輪の中継を横浜国際競技場でテレビ観戦。初戦4,000人から最大20,000人までの大観衆を集める。
●ワールドカップのチケット割り当て拡大を求めた「半券運動」を実施。主催者側の意見分裂もあり混乱のうちに終了。ファン・サポーター枠は一般枠を割いて設定されることになる。
●日韓サポーター友好フットサル大会を江東区で開催。
●上位進出に伴い福岡の観客動員が拡大。
●二部で苦戦する浦和のサポーターが事件を頻発。勝ち点はく奪の検討もされる。

マリノスサポーターの出来事

●サポーター主催のアウエーバス観戦ツアー開始。

2001年/21世紀幕開けtotoスタート

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●サポーター出身者多数がtoto雑誌ライターデビュー。
●ゲート旗ブーム。
●新潟、仙台などJ2クラブの観客が飛躍的に伸長。
●柏の葉ホームスタジアム移転問題で柏サポーターの署名運動。甲府の存続のためにサポータークラブ大量申し込み。鳥栖経営危機にサポーターの存続運動JFLでもFC.KYOKENの存続運動。
●横浜FCが支援方法を巡ってソシオと対立。ソシオとクラブでのトラブルは法廷へ。クラブ側はソシオの解散を宣言。
●ワールドカップ新設スタジアムの本番予行演習を兼ねた厳しい警備が始まる。札幌ドームでは入場を巡るトラブルで警察が身柄拘束。
●暴力事件で入場禁止処分を受けるサポーターが続出。

マリノスサポーターの出来事

●ホーム最終節で快勝を願って「盛り塩」実施。バックスタンド、ゴール裏スタンドの全ゲートに塩を盛る。ベンチにも盛られた。
●残留をかけた最終節、神戸へ約1,000名のサポーターが遠征。

盛り塩の発起人は三沢まりの
巨大な仮設スタンドだった神戸の柿落とし

2002年/日韓ワールドカップ開催

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●ワールドカップの熱狂に日本全土が包まれる。一億総サポーター化。ワールドスポーツカフェでは期間中は日本敗退まで24時間営業。チュニジア戦後は多数の若者が道頓堀に飛び込む。国立競技場のパブリックビューイングは有料にも関わらず札止め満員。
●ワールドカップのチケット販売方法を巡るトラブルで逮捕者。
●URAWA POINT開店。
●浦和ゴール裏の東と西でトラブルが発生し暴力事件。
●二部落ちした福岡のウルトラ・オブリとノが対立。一時、ノは途中退団も示唆する発言。
●J連がアディダスの支援を受ける。
●日本サポーター協会の活動をNAKATA NETが支援。
●サポティスタと2ちゃんねるが火付け役になって「嫌韓ブーム」がネット上で広がる。一方で世間一般では韓国との親近感が醸成されアンジョンファンの人気上昇。

マリノスサポーターの出来事

●横浜特攻隊が出現。
●オフィシャルwebで左伴社長からのメッセージ「社長の作文」を掲載。サポーターとのコミュニケーションを重視。
●観客動員24,000人(平均)を超え、全クラブで第二位。
●マリノス30周年&マリーシア10周年を記念してオリジナルマフラーを制作。
●男女別パートの応援歌が出現。

2003年/ポスト第一世代

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●フロンターレのコアサポーター 席「Gスポット」の盛り上がりが話題に。試合後は岡山がトラメガを持ってゴール裏に向かって歌って煽るパフォーマンスが名物に。
●「ベッカム様」ブーム。ワイドショーでも大人気。
●女子ワールドカップ予選プレーオフで12,000人のサポーターが国立競技場に来場。
●福田の引退試合でJリーグ開幕当時の浦和のコアサポーターCRAZY CALLSが1日だけの復活。
●エスパルス大応援団鼓動役員2名が寄付金横領。除名処分となる。
●新潟の観客動員がJリーグ記録更新。しかもJ2で。

マリノスサポーターの出来事

●ウルトラの奥山氏が天皇杯(愛媛)での社長控え室乱闘事件などにより無期限入場禁止処分を受ける。
●ウルトラが「無期限Tシャツ」制作。
●シーガルがJ連におけるアディダスとの関係からビッグジャージを使用。
●2ちゃんねらーを中心にした漢っぽいサポーター集団「屋根下」が出現。アウエーツアーも主催する。「横浜ヘッズ」「新横浜ヘッズ」がゴール裏グループの多数を占める。爆酒会、エムズ、旗振り隊などサポーター集団は継続して多数形成されるが、サポーターズミーティングで緩やかな連合体が作られる。
●庄やでの試合後の馬鹿騒ぎが話題に。ファーストステージ最終節で終結。
●トリコポントが移転リニューアルオープン。ビッグスクリーン設置のサロンを持つサポーター交流の場となる。

2004年/混乱と団結

日本代表&他クラブサポーターの出来事

インファイトが乱入し本田をゴールネットに追い詰めて袋叩きにする事件。犯人は入場禁止処分に。
●浦和サポーターのナビスコ、チャンピオンシップ、天皇杯決勝のチケット大量買い。天皇杯は準決勝で敗退したため、決勝戦に進出した読売、磐田サポーターはチケットが入手困難に。
●なでしこジャパンがブームに。五輪予選の北朝鮮戦では31,324人が来場。
●J連~Jサポが消滅。代表サポーターは次段階へ。
●「試合なんか見えなくて良い応援大好き派」が台頭。

マリノスサポーターの出来事

●ゴール裏より拳大のブロック片が投げ込まれる。場所と服装は特定できたが犯人が名乗りを上げることはなかった。
●ゴール裏中央でのトラブルが多発。
●主催者とクラブとのトラブルによりサポーターミーティングが活動停止。
●ウルトラが代替わりし活動を刷新。一時、活動を停止したサポーターミーティングは、ウルトラ主導で試合前に実施する集会として復活。
●最後のチャンピオンシップで特例として紙吹雪を許諾実施。
●A3、AFCチャンピオンズリーグで初の大規模海外遠征。
●20歳代で亡くなった女性サポーターの追悼セレモニーを実施。
●新潟中越地震の支援活動を実施。

2005年/創造の広がり

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●無観衆試合となったバンコク国立競技場でのワールドカップ予選。スタジアムに入れないと分っていながら駆けつけたサポーターがスタジアム外から応援。北朝鮮を破りワールドカップ出場を決める。
●東京ダービーで大型灰皿の蓋を投げた東京サポーターが逮捕。サポーター事件での起訴は初めて。
●多臓器同時移植手術が必要の女児のための募金活動を多くのクラブのサポーターが行なう。

マリノスサポーターの出来事

●トリコロールバンドの制作、各種マフラー制作、Tシャツ制作などオリジナルグッズが多数作られる。
●フリーペーパー「ハマトラ」の制作開始。クラブの協力もありスタジアムおよびスポーツショップで配布。
●中国の反日感情が高まる最悪のタイミングで行なわれたACLアウエーへの応援ツアー。フラッグ一枚もスタンドに持ち込めず、空港~ホテル~スタジアムのみ移動の厳戒態勢。
●ACLアウェイで奪われた横断幕を探しにサポーター2名が、帰国後にインドネシアに再渡航。
●サポーターミーティングやハマトラを通して多数のサポーターグループが連携してサポートを形成する。
ウルトラ ヘッズ シュトルツ BLUE CARD fever隊  旗振り隊 グランヴェ マリポーサ ポラール  M.O.I.S.T. SPREAD  マリーシア

2006年/新しいアクション

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●ワールドカップで惨敗し、JFA川淵会長退任要求デモを千駄ヶ谷で実施。約400人が参加。
●千葉サポーターが祖母井GMの契約延長を要求して署名活動を実施。
●柏サポーターの試合後のパフォーマンスが名物に。グランドで選手がゲートフラッグを掲げ一緒に歌って踊る。岡山選手のトラメガパフォーマンスと岡山をネタにしたゲートフラッグが大ブレーク。
●浦和レッズサポーターが最終節でクラブエンブレムを人文字ディスプレイ。

マリノスサポーターの出来事

●有志で開始したトリコロールパラソルがマリノスサポーター名物として定着。オフィシャルグッズでも便乗して発売に。
●浦和戦でルールを無視して横断幕をホーム側に貼った浦和サポーターに対して場所を譲るようにクラブがサポーターに指示。また日産自動車の広告看板を覆うように設置した浦和サポーターの横断幕をクラブは試合途中まで撤去できず。この「浦和横断幕事件」を契機に、クラブとサポーターの間の関係が悪化。
●「ハマトラSNS」スタート。
●フリーペーパー「ハマトラ」休刊。
●フリーペーパー「ウイマリ』街頭配布スタート。
●バックスタンド2階席をクラブが政治団体に貸切提供。サポーターの通報によりスタンドの「政党のぼり」をクラブは撤去。抗議により政治団体は一部謝罪したが、クラブは事実関係を明かさずに終息。

2007年/左伴体制の終了

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●雑誌「J’S サッカー」がサポーター雑誌として人気に。
●ユーモアを交えながら昭和スタイルの無骨なイメージに統一した柏のゴール裏が大人気。
●浦和サポーターがアジア転戦。シドニーにも遠征。イランでは飛行機が欠航するトラブルも発生。
●書籍「日本サッカー狂会」発売。
●日本サッカー協会の犬飼専務理事が、フロンターレを「サポーターを裏切った」と批判。ベストメンバー規定には抵触をしなかったが、一部主力メンバーをアウエーで温存したため。フロンターレサポーターは「犬飼さん、我々は裏切られていません。」という横断幕を3,000人の署名入りで掲出。

日立台にはついには寺から借りた龍も出現

マリノスサポーターの出来事

●最後の横浜ダービーのステッカー&ポスター配布を実施。クラブとサポーターの協力でポスター配布数は約1,200カ所。横浜FCとの対立が激化。
●バックスタンド2階席で「チョイワル風船」を実施。風船を配布しゴール時に一斉に割って喜びを倍増へ。
●フリーペーパー「ハマトラ」復刊。
●マリノスタウンがグランドオープン。サテライトリーグの横浜ダービーはスタンド超満員に。

横浜FC降格を予言した「最後のダービー」

2008年/揺れ動くユース世代

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●雑誌「J’S サッカー」が休刊。
●代表の親善試合は完売しないことが当たり前に。
●我那覇のCAS裁定費用を援助する「我那覇ちんすこう募金」を実施。
●鹿島サポーターが日立台サッカー場で柏レイソル選手をフラッグで叩く事件が発生。
●ガンバサポーターが投げた水風船がきっかけとなり浦和サポーターがガンバサポーターほぼ全員を試合後3時間監禁。
●ナビスコカップ決勝戦を国立競技場で応援する大分サポーター1万人の大移動により航空券が完売。航空券を確保できなかった大分県サッカー協会会長は陸路で東京へ。
●日本サッカー協会・犬飼会長の「秋冬制構想」に反対するサポーターが5万4千筆の署名を提出。

大東社長:
実行者(旗攻撃犯)は9月26日に謝罪に来ました。本人は本当に反省していて、こういう言い方は何ですが、思った以上に好青年に見えました。

マリノスサポーターの出来事

●シーズン終盤にコーキチ論争。 背景に、マリノスユース出身者の育成をどの程度まで重視するかで意見の対立があった。
●「ハマトラプレゼンツ 横浜サポーターズカンファレンス2008」を名画座である黄金町「ジャック&ベティ」で開催。キャパシティを越える超満員。
●「俺たちのF・マリノス」ナイキの支援により拡大展開。「みなとみらい清掃イベント」も実施。

2009年/ゴール裏新時代

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●大分サポータが新スポンサー企業批判の横断幕掲出し入場禁止に。
●「本田△」がネットでブーム。
●太陽工務店「みや長(横山ミューレル)」が注目を集め、テレビ、新聞、雑誌に多数登場。スカパー!では専用カメラも。

マリノスサポーターの出来事

●横浜HEADSがスタジアム駅伝に参加。
NPO法人ハマトラ・横浜フットボールネットワークが設立。日本初のサポーターのNPO法人。
●NPOハマトラブースをトリコロールランドに設置。

2010年/ミスターマリノスとの別れ

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●ワールドカップ南アフリカ大会では、過去の大会と比較して現地応援するサポーターが大幅に減少する。
●サポーターが登録し大手旅行会社よりも安い旅行費を実現する「サポ村」を実施。183名が参加。
●ワールドカップ勝利の後は渋谷スクランブル交差点で大騒ぎが恒例に。岡田監督批判のお詫びもブームに。
●ブブゼラがブームに。
●松本山雅がJFLの観客動員記録を樹立。平均観客数5,079人。
●JFL松本と長野のライバル対決を追いかけたドキュメンタリー映画「クラシコ」を制作。
●浦和レッズはじめ各クラブが観客数減少。
●浦和サポーターが仙台の所属選手へ差別発言。制裁金500万円。
●京都サポーター33人が入場禁止に。

マリノスサポーターの出来事

●松田直樹の再契約要求嘆願書22,305名を集める。この運動を起点にシーズン終了後にサポーターカンファレンスを実施。
●サポーター活動の連絡手段にツイッターが活用され始める。
●各クラブが観客動員を減らす中でマリノス(と昇格クラブ)だけが大幅に観客を増やす。
●オフィシャルツアーの山形戦が季節外れの雪で大幅遅延。試合終了直後にスタジアムに到着
●別冊バモバモコミックを発行。ゴル裏版、バクスタ版、二階席版の3タイプ。

2011年/サポーターにできること

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●サッカーファン・サポーターの震災復興支援活動”Football saves Japan“をはじめとするサポーターによる震災復興支援が多数誕生。
● 震災の影響で観客動員数が大幅に減少。
● 柏サポーター同士による傷害事件で罰金30万円の略式命令処分。2つのサポータークラブが無期限活動停止処分に。太陽工務店は解散。
● 磐田サポーターがイランの核開発に反対する横断幕を掲出し乱闘に。
● なでしこジャパンが女子ワールドカップ・ドイツ大会で優勝。欧州在住日本人を中心に応援。
● 女子ワールドカップ後にプレナスなでしこリーグの観客動員が飛躍的に上昇。新潟×INACでは24,546人を記録。

マリノスサポーターの出来事

● NPO法人ハマトラがマリノスタウン物資集積活動を実施。
● NPO法人ハマトラが仙台市宮城野区への復興支援バス・ボランティアを実施。
● NPO法人ハマトラが仙台、山形のアウエーゲームに併せたアウェイゲームパッケージ・ボランティアバス活動を実施。
●NPO法人ハマトラが「復興支援リストバンド」を販売し収益を寄付。
● マリーシアがママこえと合同で仙台市内の保育園へ遊具を届ける。
● 松田直樹移籍を機に松本山雅サポーターとの交流が拡大。天皇杯での対戦では富山に両サポーターが大挙遠征。

2012年/笑顔のサポーター

日本代表&他クラブサポーターの出来事

ロンドン五輪に大量のサポーターが遠征。特に女子サッカー決勝(ウエンブレー)は五輪女子サッカー史上最高の観客数を記録。現地駐在日本人など、多くの日本人サポーターが来場。数字の記録はないが、過去、日本代表の海外の試合で、最も多くの日本人が来場したいのではないかと言われる。
● アシシ、ちょんまげツンさん、ボーリングのピンなど、「うざい系」「色物系」と呼ばれるサポーターが海外で活躍。
● U-20女子W杯が日本で開催される。ヤングなでしこブーム到来。サポーター有志が結集した「U-20女子ワールドカップ盛上げ隊」が各国代表チームを応援。海外メディアも取り上げる。

U-20女子ワールドカップ決勝戦は旧国立競技場で
ロンドン五輪の表彰式も記憶に残る

マリノスサポーターの出来事

●ポスター活動「ポス活」が定着。
●川崎とのライバル関係が激しくなる。
●開幕から10試合勝つことが出来ず、2001年以来の「盛り塩」を実施。

塩の盛り方は進歩した

2013年/原点への回帰

●2ステージ制、ポストシーズン制導入反対派サポーターがゴール裏で抗議行動を展開。特に浦和サポーターは多数の横断幕を展開。
●浦和サポーターが静岡市内の路上でエスパルスの選手バスを襲撃。爆竹を投げつける。スタジアムで警備員に暴行をはたらき逮捕。
●日本代表の遠藤、今野を擁するガンバがJ2で試合。J2各クラブは大入り特需に。
●DJポリスブーム。

マリノスサポーターの出来事

● 21年ぶりに天皇杯制覇。優勝決定直前に歌ったチャントは「We are Marinos」。これは21年前の優勝決定直前と同じチャント。90年代半ばから歌われなくなっていたチャントが、このシーズンから復活した。
●優勝を共に応援しようと、中村俊輔が過去に所属していたセルチックのサポーターが来日。ゴール裏で応援。リーグ優勝を逃したがJリーグアウォーズに入場し、中村俊輔MVP表彰を見届けて帰国。
●出入り禁止となっている元サポーターがソウルで開催された日韓戦で旭日旗を振り国際問題化

2014年/告発の時代

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●池田重之さん、佐藤将史さんの発案で「日の丸ハチマキ大作戦」を実施。ブラジルワールドカップで外国人に配布したハチマキは30,000本以上。日本代表への後押しに。
●英国高級紙ガーディアン選定「W杯が教えてくれた17のこと」に日本サポーターの清掃活動がランクイン。
●セレッソ大阪が大人気。セレ女ブーム
●一平くんがFIFAサイトに紹介される。
●中傷横断幕、中指、野次などにより多数のクラブでサポーターが無期限入場禁止処分に。
●映画『WE ARE REDS THE MOVIE~開幕までの7日間~』公開。
●埼玉スタジアムで浦和レッズ・コアサポーターが「JAPANESE ONLY」の横断幕を掲出。韓国嫌いの浦和レッズサポーターが、李忠成に向けて発したメッセージもありJリーグ初の無観客試合処分となる。

マリノスサポーターの出来事

● 三ツ沢のゴール裏最前列でバナナを振る人種差別事件が発生。各種防止策の一つとしてサポーター向けの人権研修を実施。
●ACL全北戦アウェイ遠征に乗り込むためにサポーターが観光バスを手配。ソウル駅前からバス7台で乗り込む。

2015年/ソーシャルの時代

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●松本山雅はJ1初昇格し長野県内への経済効果54億円以上。
●北九州で「ぶちくらせ問題」が発生。
●澤穂希最後の公式戦となる皇后杯決勝戦に等々力陸上競技場には2万379人が来場。

マリノスサポーターの出来事

●天皇杯2回戦滋賀戦が豪雨のため途中中止。再試合に。
●民衆の歌の歌詞を変更するかどうかで議論。
●スマートフォンの照明を活用した暗転演出。のちのトリコロール ギャラクシーとなる。

2016年/全力応援とふんわり応援共存の時代

日本代表&他クラブサポーターの出来事

●東京ヴェルディの名物サポーター「全力さん」がキリンのプロモーションに起用される。
●「サポルト!木更津女子サポ応援記」(コミックアース・スター)が人気に。
●英国の監督が、東日本大震災後のベガルタ仙台とサポーターの姿を描いたドキュメンタリー映画「勇者たちの戦い(Vegalta: Soccer, Tsunami and the hope of a Nation)」をNHK-BSで放送。
●熊本地震災害を全国のサポーターが支援。Jリーグも「がんばろう九州・熊本 チカラをひとつに。タオルマフラー」をJ1・J2・J3の全53クラブバージョンで発売。熊本の再開試合となった、代替会場の日立台開催ホームゲームには、8,000人を超える観客が集まり、熊本の入場料収益に繋がる支援を行った。
●サンフレッチェ広島にスタジアム移転を巡る論争が過熱。
Jユニ女子会に注目が集まる。明治安田生命がイベント「Jリーグ女子倶楽部『MY Bloom2016』」を主催。

マリノスサポーターの出来事

●「マリノスの終わりの始まり事件」で中村俊輔が再び移籍。CFGの強化方針をめぐってサポーターの意見交換が活発化。
●川崎戦で、Jリーグ史上最大規模、4万枚の「レプリカユニフォーム付きチケット(ユニ付きチケット)」を発売。お揃いのユニフォームでの応援を実施。
●外国人サポーターのコミュニティTricolore Pride に注目が集まる。

2017年/グローバル対応で変化

日本代表&他クラブサポーターの出来事

⚫︎駅至近、海に面した立地にあるミクニワールドスタジアム北九州が完成。北九州×秋田でJ3最多入場者数記録を更新。14,935名が来場。
⚫︎浦和レッズのコアサポーターがアルビレックス新潟戦後に「We are Diamonds.」を歌わないとトラメガで発言し。埼玉スタジアム全体からブーイング。北側ゴール裏以外のサポーターが歌う。
⚫︎徳島サポーターがフクダ電子アリーナで行われた千葉戦後に、ボールボーイの中学生に液体をかけ無期限入場禁止に。
⚫︎ガンバサポーター「スレッジハンマー・ブロス」が、ナチス親衛隊のSSマークに酷似したデザインの旗をスタジアムに持ち込み、メンバー83人全員が無期限出入り禁止に。以前にもSSマークに酷似したアイテムを使用していた。
⚫︎アジア・サッカー連盟(AFC)は20日、韓国でのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の試合で、サポーターが旭旗を掲げたため、執行猶予付きでAFC主催試合でのホーム戦の無観客、罰金の処分を発表。AFCは旭日旗の掲出は差別的で、韓国国民の尊厳を傷つける行為との見解を示した。
⚫︎『「能町みね子のときめきサッカーうどんサポーター」、略して 能サポ』が「サッカー本大賞」大賞を受賞。人気作家によるサポーターに関する本が受賞することは異例。同じくサポーターに関する書籍である『KFG蹴球文化論 (壱)革命蜂起編/(弐)革命奮起編』も優秀作品賞を受賞した。
⚫︎アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)決勝第1戦アルヒラル戦(18日、リヤド)に約250の日本人サポーターが遠征。観光ビザがなく、ビザ取得が困難なサウジアラビアに大量の日本人が一度に入国するのは極めて異例。河野外務大臣は「ベルマーレの予行練習です」とツイート。

マリノスサポーターの出来事

⚫︎ルヴァンカップの甲府戦(アウェイ)でアウエースタンドが満席。空席の目立つホームサポーターを人数で上回る。
⚫︎海外リーグ20か国プライベート観戦の「元サポーター記者」岡島智哉が人気に。
⚫︎ジュビロ磐田戦(日産スタジアム)で中村俊輔に大ブーイング。
⚫︎マルティノスに対する人種差別SNS事件。
⚫︎関西マリサポ会が発足。

2018年/新しい価値づくり

日本代表&他クラブサポーターの出来事

⚫︎ロアッソ熊本東京応援団が、サポーターという枠にとどまらずロアッソ熊本のサポートカンパニーに。
⚫︎横浜FCサポーターによる西日本豪雨の被災者への黙祷無視事件。 ⚫︎浦和サポーターによる仙台での復興ライブ妨害事件。
⚫︎V・ファーレン長崎サポーターがサポーター交流会をホーム、アウェイで開催。
●ツエーゲン金沢サポーターが「金沢市スポーツ文化活動賞」を受賞。
●ロシアワールドカップで「日の丸ハチマキ大作戦」を大規模展開。直後のアジア大会では地元インドネシア人が生産し販売するほど世界中で話題に。
●AFCチャンピオンズリーグ決勝戦の会場であるテヘランに鹿島サポーターが約300人の遠征。FIFAクラブワールドカップの会場であるUAEに鹿島サポーターが約100人の遠征。
●川崎フロンターレの年間チケットが12月上旬に完売。

マリノスサポーターの出来事

⚫︎渋谷区内のパブでアウェイゲーム中継を観戦する平日都内観戦会が人気に。ウーゴ・ヴィエイラのInstagramで紹介される。観戦席種を越えたサポーターの交流が活発化。
●沸騰プロジェクトでクラブがサポーターを巻き込む活動を活発化。
●「僕はこの移籍を挑戦と捉えてます。」齋藤学移籍騒動が発生。
●ルヴァンカップ決勝戦でゴール裏コアゾーンでマリノス君が応援。

2019年/ソーシャルとIOTの融合

日本代表&他クラブサポーターの出来事

⚫︎名古屋グランパスがJリーグチケットの購買履歴等を活用したデジタルマーケティングで注目を集める。
⚫︎各クラブが、新たなマーケティング施策でサポーターの拡大を図る。Jリーグの総入場者数が史上最多の1140万1649人に、J1リーグの1試合平均の入場者数が27年目で初めて2万人の大台を超えて2万751人になる。
⚫︎多くのクラブがダイナミックプライジングを導入。
⚫︎浦和サポーターが書類送検。前年の天皇杯決勝戦で使用した発煙筒により道路交通法違反。東京五輪を意識して警察が取り締まりを強化。
⚫︎ちょんまげ隊長ツンさんが教員向けサイト「学校教育ネット」に登場。
⚫︎ジーコ像への侮辱行為を行った浦和レッズレディースサポーター11名を浦和レッズが処分。

マリノスサポーターの出来事

⚫︎リーグ優勝が決定となる最終節でJリーグ史上歴代最多観客数の63,854人を動員。
⚫︎渋谷区内のパブでアウェイゲーム中継を観戦する平日都内観戦会がキャパシティをオーバー。オフのイベントでは受付開始から7時間で、約100名の予約が埋まる人気に。 サポーターイベントでは九州や南半球と中継も活用。
⚫︎サポーターの運営によるLINE順番待ちが本格稼働、前日や早朝から列に並ぶことが無用に。
⚫︎マンチェスターシティファンを日産スタジアムに呼び込む「#シティズンおいでよ清水戦」がTwitterで拡散。クラブオフィシャルの来場プレゼントキャンペーンにまで拡大。
⚫︎「戦術レビュワー」と呼ばれるサポーターによるクラブの戦術を図示、動画、テキストで解説するネットコンテンツがブームに。応援するだけではなくサッカーを深く理解する動きが活発化。
⚫︎サポーターが経営する白楽の居酒屋「とり9」がブームに。「いつ行っても誰かいる」状態となる。
⚫︎シーズン終了後のオフに「●●マリノス会」が続々結成される。

2020年/with コロナと応援

日本代表&他クラブサポーターの出来事

⚫︎COVIDー19(新型コロナウイルス感染症)の感染拡大により無観客試合、観客数に制限をつけた試合を開催。座席は全席指定席が基準となり、座席の間隔を開いて発売。
⚫︎飲食の制限、マスク着用等の条件付きでファン・サポーターがスタジアムへ。
⚫︎無観客試合でリーグ戦を再開するものの、初戦で川崎サポーターが禁止されているバスの出迎えを実施。
⚫︎浦和サポーターがホームゲームでサポーターが声を出したり指笛を鳴らしたりするなど、新型コロナウイルス対策のガイドラインに違反する行為をしたとして、Jリーグはレッズに対し、罰金300万円とけん責の処分。
⚫︎徐々に規制は緩和されアウェイ観戦も可能となるが、浦和サポーターが大分で指定席を離れ、立ち見で声を出して応援したり、指笛を鳴らしたりするなど新型コロナウイルス対策のガイドラインに違反する行為。
⚫︎各クラブが窮状を救うクラウドファウンディングを実施。浦和レッズは1億3000万円を集める。
⚫︎声を出せない応援を模索。原点に返り、プレーに対する拍手が脚光を浴びる。
⚫︎応援のリードが不要となり、いわゆるコアサポーター層の存在価値が薄れていく。
⚫︎録音した音声がスタジアムで再生される「リモート応援システム」を一部のクラブで導入。

マリノスサポーターの出来事

⚫︎無観客試合中にZOOMやSkypeを繋ぐリモート観戦会が活発化。
⚫︎緊急事態宣言下でサポーターが自宅で歌声を収録。それを一本の動画にまとめた「【民衆の歌】マリサポから社会を支えるあなたへ #マリサポから4U​」を実施。
⚫︎全席指定席化で、ゴール裏コア層の一部が解体し他の座席へ分散。

そしてサポーターの歴史は今も創られている。